Last Updated on 2026年6月11日
■#7は、いったん録画したものの、なかなか見れなかった。
わたしより先に視聴した末次郎(13才)に聞くと、ちまたで褒められてる#6よりも面白かったようで、特に「国生さゆり」の存在が面白かったようなのだ。末次郎は「デヴィ夫人」にも衝撃を受けていたことがあるので(おもにネーミングに)、それに近いのかもしれない。
舞台は、「イノシシの里」とよばれる“大間下(おおまか)村”という相当な山奥で、「ようこそ大間下村へ」と唐突に看板があらわれるサマから、「TRICKか?!」と思わせたけど、「TRICK」よりライトな山奥なので、さほど因業な感じはしなくて、住民たちは、ママさんバレー、イノシシ狩り、フランスってことにする、などなどに謎めいて熱心だった。
それに、イケメンの関口ミッシェル(加勢大周)がコーチで出てきたときは、世代的にも「サインはV」の中山仁を彷彿として、無条件で嬉しくなった。しかも、ミッシェルは出てきていきなり開き直るから受けた。
そういえば、この回は続く#8の仕込みめいたところもあって、いよいよ食欲に走る三日月ちゃんといい、山小屋のベッドで誘惑しているのに朴念仁の霧山といい、監督と脚本が違っていても伏線を張っていたのだろうか。
■#8は、しょっぱなから夢の中と思しき光景で、桜舞う中で、仲良く手をつなぐ霧山と三日月、という、熱心な視聴者にとって待望の絵であったものの、三日月は、いつの間にか霧山ではなく誰だか分らないオジサンと手をつないでいて、トラウマレベルだった。さらに夢は、この先手がけそうな事件と関係がありそうな展開となるから、こ、これはひょっとしてツインピークス!? と、興奮した。
#8は、夢以外のシーンでも、今までのフレームからはみ出していて、たとえば三日月ちゃんが過剰にうるさく、けたたましく、うざいほどだった。せっかく、#6ではあんなにかわいらしく撮れてたのに、制作者、何を考えている? と疑問になった。考えようによっては、三日月の霧山への想いは何ひとつ報われてはいず、押せば押すほど逃げていく霧山で、あーそんなに霧山のこと好きだったんだね、だからそんなに壊れてしまうんだねと、納得している面はあった。
妙に誠実なのは、「霧山がなぜ三日月と付き合えないか」ということの説明が、やはり夢として出てくるあたりで(それが理由ならば、だけど)さすがに「えっ!」と驚いた。まさか、蜂須賀さんが「好き」だったなんて…。蜂須賀さんだよ? 十文字の腰ぎんちゃくだよ? 驚くよ通常。
かといって、熊本さん相手じゃ「メゾン・ド・ヒミコかバシッ」だし、乙メン君じゃ「『少年愛の美学』(稲垣足穂)かバシッ」だし、鑑識課の諸沢さんじゃアサッテすぎるし、十文字疾風じゃ今までのシナリオ無視しすぎだし。
これには、何でも「俺しってる」みたいな顔をする末次郎ですら、「この夢の意味、ぜんぜん分んない」と言うから吹いた。
しかし、だからといって霧山を同性愛者と決めるのは早計だろう。むしろ、女性観が混乱しているといった方が近い気がして、三日月のヒップを狙い撃ちするカメラアングルや、女性同士で膝枕したりオンブしたりする、女の生態の(実際にはあまりないが比喩的にはあり得る)描き方は、デビッド・リンチ的に粘着質にHな感じでもあり、女を初めて見た子供のようでもある。
そうそう、デビッド・リンチといえば、麻生久美子にはデビッド・リンチの映画に出てきそうな雰囲気があるし、それを言ったら、松田美由紀もそんな感じだし、それを言ったら加藤治子もそんなところがあるので、全体にデビッド・リンチチックの可能性を秘めつつ、特にやってはいなかったり。笑。
しかし、とはいっても、夢とウツツの境目がない感じ、人の潜在意識が事件を起こし動かしていく感じ、そして夢の中で人と人がつながっていく感じ、意識というものが生まれた源泉へ向けて逆流していく感じと、考えると、大きな成功作とはいえないが、野心作といえるのではないだろうか?
何より、女というものは、まだまだ描かれきってはいないのだ、という想いを強くもった。