爆笑問題のニッポンの教養 | 「私が愛したゴリラ(前後編)」 / media:テレビ
この前、『暴力はどこからきたか』の感想をupした関係もあり、その著者である山極寿一氏がゲストであるこの回は、是非見てみようと思っていた。
わたしは爆笑のファンではあるものの、科学や動物にはさほど興味を持っていないため、今まで観ていない番組であったが、観たら面白かった。途中、娘が仕事から帰って来て、「太田さんって、なんでも詳しいんだね、政治も詳しいし」と驚いたため、「ホントだよねぇ、政治から科学から、何にでも首をつっこむよね」と、別段皮肉ではなく本当に感心して答えていた。総理大臣を見ていると、最近は首を突っ込みすぎて2ちゃんねるとかの掲示板で自分の悪口まで見ている印象で、そんなの見るのバカらしいからやめるべき、と進言したい。
それはともかく、山極氏は日本で初めて本格的なゴリラの研究をした人、ということで、日本で一番ゴリラに詳しい人のようで、実はゴリラは鼻歌を歌う、実はゴリラも赤ちゃんの時は笑う、実はゴリラはかっこをつける、などなど語っていた。
風貌も、どこかゴリラ的な大らかさがあり、しかもハンサムでやさしそーなため、さぞかし女子大生にもてると思われ、あの雰囲気でもって「ゴリラもみつめあうのだよ、人間の場合これだけの近距離でみつめあうのは、母子の関係をのぞけば、そう、恋愛だけなんだ……」なんて瞳をのぞきこまれて教授されたら、その場でフォーリンラブしそうである。
一方太田光氏は、なんかサル系の顔っていうか、最近ますます神経質なチンパンジーみたいな風貌になってきた気がして、つくづく2ちゃんねるなどは見るべきではない。
さらに田中氏であるが、あぶなげのない男である。彼はサルには興味ないだろう。まわりの人間が動物めいているため、ゴリラやチンパンジーどころではなさそう。
さてそんな三者三様の中、かっこをつける、ポーズを決める、というのがゴリラの本能であることを思えば、自分がどういう形(カタ)を取り、他人からどう見られるのか、つまりは美への意識(あるいは自意識?)というものが、思いのほか根源的なものであると証明されたようなもので、ここから太田氏は、自分の得意分野でもある国家・政治論へとつなげ、「国家のありようも、理屈を積み上げていくより、まずどういう形にするかから決めるのがいいのかも」と言い、山極氏は、それを「構え」という言葉で表現したあたりで、なるほどーと見事に番組が決まった感じがした。
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