危険厨 vs 安全厨 のバトルを、どうやったら超えられるか?

今年の1月始め、複雑な心境におちいる記事がタイムライン上に現れた。
福島に朗報、「甲状腺疾患の増加は予想できない」ロシア専門家=チェルノブイリ報告から考える合理的な低線量被曝対策
というのだ。
メディアがBLOGOSという、割合有名と思われる「WEB上の論壇誌」だから読む人も多いと思う。
書いたのは石井氏というジャーナリスト。
まずもってタイトルにある「ロシア、専門家」と聞けば、チェルノブイリで原発事故および放射線障害を研究し尽くした誰かなんだろうと思うから、その人の明るい話しならそれだけで朗報に思う。
けれどタイトルにある「甲状腺疾患」は、原発事故との関係でいえば、「半減期8日」と短いヨウ素131の甲状腺への蓄積しやすさをもって現れる症状で、同じくタイトル内にある「低線量被曝」とは別の事柄ではないだろうか。※1
といっても、「甲状腺疾患」は、そもそも原因が明確に分かっている疾患ではないらしい。
ただ、チェルノブイリ事故の際に、子ども達に多発したことは事実で、チェルノブイリ被害を過小に見積もろうとしたIAEAも、最後には認めた。
ちなみにIAEA(国際原子力機関)のIAC(国際諮問機関)は1991年5月21日(チェルノブイリ事故は1986年4月26日なので5年後)に、90年5月から1年間にわたる調査の結果を次のように報告したという。

  • 放射線被曝に直接原因があるとみられる健康被害はなかった
  • ガンや遺伝的影響の自然発生率が将来上昇するとは考えにくい
  • 甲状腺結節は子どもにはほとんど見られなかった
  • 事故後の白血病または甲状腺ガンの顕著な上昇は証明されなかった
  • 食料品の規制は、不必要に行われたといえる。移住よりも食品基準の緩和を優先し検討すべきである

※2
この報告は現状とまるで違うものであると、現地の医師達は激しく抗議したという。
デジャヴに襲われる話しだ。報告と同じ物言いを、今、日本で何度も見てきたしBLOGOSのこの記事もほぼ同じだからだ。
BLOGOSの記事にしても、他の事柄ならば「意見を異にする人の考え」という事で普通に受け止めればすむが、影響は小さくない。福島から避難する事を諦めて住み続けると決心した人、ことに幼い子を持つ親にとっては朗報と思え、こういった意見を信奉するしかなくなるからだ。
と思ったけれど、よく読むと、必ずしもそうではないと思った。
サブタイトルが「巨大な社会コストと釣り合わない放射能リスク」というのだけれど、いったい、自分の子の健康を守りたい気持ちにとって、社会的コストなど何の関係があろうか。社会的コストなどどうでもいいのだ。
こういった論、どこの角度から見てものを言っているのだろうか?
その時々で都合の良い視点からものを言うのではズルではないだろうか。
社会的コストの観点から何か言っていたと思ったら

特に子供を守ろうとする親の苦悩は重いものとして受け止める。しかし多くの場合は杞憂だ。不安の表明以上に、ありえない健康被害の恐怖を過度に騒ぎ続ける人が今でも散見される。恐怖の拡散は社会的コストになるだけではなく、自分と家族、子供も不幸にするだけだろう。騒いでも問題は何も解決しない。

と、「親の苦悩」に言及する。
「親の苦悩」と「社会的コスト」、相容れない両者の、どちらの観点から意見を言おうとしているのか。
別の言い方をすれば、自分の発した論を信じて、その結果健康被害を被る(かもしれない)事態に責任を持ちきれないから、「社会的コスト」の方にスライドするのだと思う。※3
先ほど「驚愕のノンフィクションin郡山」というのを見た。
ここには、「恐怖にかられ」たり、「ありえない健康被害の恐怖を過度に騒ぐ」人ではなく、現地の平穏とはいえない日常がある。せめて「知る」ことくらしか出来ないけれど、「知る」ことはものすごく大きな事だと思うので、より多くの人が知るといいと思う。
(こういう「本当」の事ですら、「嘘をつくなって否定する人がまたいっぱい」出るという…)
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※1 wikipeediaでチェルノブイリ事故を見ると、子ども達が汚染された牛乳を飲んだゆえに甲状腺ガンになったとする説明だが、牛乳だけに原因をたどれるのか、他のソースを見たがわたしにはどうにも判然としなかった。
※2 DAYS JAPAN2011年11月号「IAEAはなぜ間違いを犯したか」広河隆一氏の記事より引用
※3 もっとも本元は、低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ(内閣官房)なので、筆者氏はそれを受けているにすぎないのだが…
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その時々で、視点を恣意的に選んでいたら、共通の話しにならない、の図