秩父よいとこ、一度はおいで。

肩車されて曳山を見る子どもと、秩父の父■今月のはじめ秩父夜祭りに行ってきた。
東京の通勤圏–立川、府中、我孫子、松戸、高円寺、豊玉(練馬)、埼玉南部–を家賃基準で漂流するようにしか住んだことのないわたしは、祭りに接する機会がなかった。秩父夜祭りについてもそうで、調べるとずいぶんと歴史のある祭りなのにわたしはまるで知らなかった。秩父と同じ埼玉県に25年間も住んでいるのに、だ。
夜祭りもそうだが秩父鉄道にも乗ったことがなかったし、秩父の煎餅が超絶おいしいことも知らなかった。実のところ今もあれを食べたくてたまらない欲求が沸き上がって仕方がない。おおげさでも宣伝意図でも何でもない。偶然にも昨日、職場の人が製造、販売ともに同じく埼玉であるJAの○○煎餅をくれた。これはラッキーと喜んだのもつかの間、秩父の煎餅のカプと囓って広がる香ばしさとウマミには遠く及ばず、肩を落としてボリボリしていた自分だ。
わたしをこの秩父行きに誘ってくれたNは、今は亡き両親と行った筑後川の花火大会が忘れられず、一年中どこかの花火大会を渡り歩いている。秩父夜祭りもメインとなるのは「曳山」ながら、同時刻に花火大会も行う。Nは曳山や夜店にはほとんど興味を示さず、花火が上がる度にふらふらとそっち方向へ彷徨うため、こちらも付き合って長く歩いた。
その秩父夜祭り、せっかくだから由来などを調べた。これがなかなかにキリのない行為で、wikipediaで調べると次々と用語をクリックしていって次々タブが開いてどんどん広がっていく。まったくキリがない。それでもその中で浮かんできた秩父のイメージは、テレビの旅行番組、紀行番組、「鶴瓶の家族に乾杯」などのフィルターを通さない自分なりのものだ。
正しい間違いの尺度はさて置いて、浮かんだ姿を書き記しておく。
(眠くなったら途中まで)

■秩父夜祭りは秩父神社の祭り
調べると「秩父夜祭り」は日本三大曳山祭りのひとつであると書いてある。
「日本三大○○」と聞くと大層すごいものだろうと思うが、その割にはあまり聞かない話しなのはわたしが極端に寡聞なせいなのか。そもそも曳山祭りとは何? というあたりから調べると、曳山とはどうやら「御輿」(みこし)のことらしい。ただし呼び方は「御輿」とは限らず、「山車」(だし)「屋台」(やたい)などもある。
つまりみんなで担いでワッショイワッショイとやる、あれのことなのだ。
日本の曳山祭_地域別
↑日本全国にこんなにたくさんある曳山祭り!!
御輿を曳いてまわる祭りがこんなにたくさんあるって、みんな知っていることなんだろうか?
これを見ると日本人って、御輿かつぐ祭りのために生きていると言っても過言ではないくらいだ。
けれど、それほど知れ渡っていることにも思えない。なぜか?
(それは後で考えよう)
さて、曳山祭りがたくさんあるのはわかった。現在もみゃくみゃくと行われていることは、各祭りをリポートする有志のWEBで確認、直近2012年にもちゃんと行われているのも確認した。
曳山祭りがおおむね地元の神社仏閣に由来していることも確認した。
上記サイトによると曳山祭りの元祖は京都の祇園祭りだ。祇園祭りの場合、29日間の長きにわたって様々な祭事を行うため、曳山だけをやるわけではない。(参照:祇園祭2012 – 祭りの主な日程:京都新聞
が、やはり「16日の宵山と17日の山鉾巡行」がメインとなっており、どちらも大変に大がかりな曳山のようである。
ここらへん、無知なわたしにwebは、あふれんばかりの画像、有志のリポート、Youtubeでもって知識面はもとより、その熱い熱気を伝えてくれた。
子どもの頃にテレビで祇園祭りを見ても正直何をやっているのか、何が面白いのかわからなかったが、調べれば調べるほど「なんでこんなすごいの知らなかったんだ!! 来年は実物を見に行かなくちゃ!!」という気分になってくる。
ついでだから書くと、この祇園祭り、始まったのは貞観年間だ。その頃大流行した疫病をおさめるために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念。さらに869年(貞観11年)には、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来の化身・牛頭天王を祀り御霊会を執り行った、という。平安時代は京都が都であったから、自分たちの地域だけではなく、全国66の国の悪霊退治もしたのだろう。これが曳山祭りの起源ということになる。
ところでこの「869年」という数字。どこかで見覚えがあると思ったら、貞観地震の年だ。貞観地震とは、昨年3月に起きた東北地方太平洋沖地震+大津波の、前の前の同バージョンなのである。(すぐ前は1500年)
平安の人々が見た巨大地震を再現する–西暦869年貞観津波– AFERC NEWS 16号(地震・活断層研究センター > 産総研)
新年度にあたってのご挨拶– AFERC NEWS 22号(同)
上リンクは、東北地方太平洋沖地震が起きる半年前にはすでに、東北の大地震+大津波の研究・予測が相当すすんでいたことを示す。さらにそれが周知していなかったことを悔いる翌月の新年度挨拶と、複雑このうえない気持ちになる2pdfだ。
余談になるが、今後はどんどん周知していってほしい。その際は新聞やテレビを使わなくても、ツイッターに流すなりして、大メディアではない経路で教えてほしい。(テレビ新聞もいいがそれだけではなく。第一わたしの場合マスコミ見てない可能性が高いため。よろ。)
そんなで陸奥の国に大地震と大津波の押し寄せた年にはじまった曳山祭り。
当時の情報伝達手段や経路がどんなだったかは不明であるが、意外と速く都は情報をキャッチしたのではなかろうか。
■秩父神社がまつっているものは。
話しを秩父に戻そう。秩父神社とは何なのだ? というあたりを調べてみる。
秩父神社がまつっているものは、公式サイトおよびwikipediaによると四つある。

  1. 八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)
  2. 知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと) – 八意思兼命の十世孫で、初代知知夫国造
  3. 天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) – 鎌倉時代に合祀
  4. 秩父宮雍仁親王 – 昭和天皇の弟。昭和28年に合祀

……なる、ほど。漢字が多くて難しすぎるので、それぞれを調べてみる。
▼1:八意思兼命
やごころおもいかねのみことは、『古事記』に出てくる神で、知恵を意味する。「数多の人々の持つ思慮を一柱で兼ね備える神」の意味がある。
▼2:知知夫彦命
武蔵国西部にあった知々夫国の国造。
いつ頃かというと「崇神天皇の時代」(紀元前148年から紀元前29年)だという。
「国造」とは「大和朝廷の行政区分の1つである国の長を意味し、この国の範囲は令制国整備前の行政区分であるため、はっきりしない」とwikipediaに書いてある。そのため、不明な点が多くなる。一番興味の対象になるのはその国(この場合知々夫国)の自立度だ。どの程度中央(というものがあったとして)の支配下、もしくは影響下にあったのか。それとも独立国家のようにやっていたのか?
たとえば「大和朝廷」という言葉からして昨今では疑義をもたれているらしく、「天皇の政治の場である朝廷はこの頃まだできていない。ただしヤマトという国はあった」と説明されている。かと思うと同じwikipediaであっても「大和朝廷」「大和朝廷」と連呼している人もいる。「大和朝廷」が実在したのかしないのかくらいハッキリしてくれるとありがたいのだが。
ともかくその知知夫彦命、秩父神社を紀元前87年(wikipedia秩父神社による)に作った人、であると同時にここに祀られている。
▼3:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
この神も『古事記』の登場人物で、日本神話の神。
ただし、この神をまつるのは明治の神仏分離以後のことで、本来まつっていたのは、妙見菩薩だ。
ここらを詳しく言うと、明治の新政府が1868年(明治元年)に太政官布告(通称神仏分離令、神仏判然令)を発した。
その意図は、必ずしも仏教撲滅ではなかったが、仏教と神道を分離させてどっちかハッキリさせる、というものだったようだ。明治政府は、神道を日本統一の基盤にしたかったらしいのだ。その結果「廃仏毀釈」が全国でおき、多くの仏教系の像や建築物が破壊された……(画像検索
秩父神社はその難を逃れるために、本来まつっていた仏教の妙見菩薩を、同じく宇宙系でキャラクターの似通った天之御中主神にさしかえた。
▼4:秩父宮雍仁親王
この方は、昭和天皇の弟君。
「宮家=みやけ」というのは天皇家の人しか名乗れない。今現在、「秋篠宮」が有名どころ。
秩父宮はご本人が20才の時に創設した宮家なんだけど、残念ながら子女に恵まれず1995年に断絶した。
★ ★ ★
ふーーーーっ。
これだけのことを調べるのにほぼ半月かかった。もしもインターネットがなかったら、これの半分も知り得ることはなかったろう。
特徴的なのは、秩父神社が祀っていると公式に発表しているものが、ことさらに神道であることだろう。
それでいて本当の心は妙見菩薩(仏教)にある。(公式サイトを読めばわかる)
さらにさらにもっというと、公式サイト曰く「ところで、このお祭りには更に古層とも言うべき隠れた神聖コードが潜んでいます。それを解読するヒントが、ご神幸行列の先頭を行く大榊に巻きつけられた藁づくりの竜神です。」と、神聖コードというか、裏コードの存在を明かしているのだ。これは、ひょっとしてダビンチコードの影響かもしれないけども、なんかすごく嬉しくなった。本当のことを言ってくれる、というのが大変にすばらしい。
中央との折り合いをつけ、上手にやっていくための神道の神々。
ここらは政治面ばかりでなく、スポンサーの問題もあったようだ。誰かが支援してくれないと成り立たないのが信仰系であるから、その時々の有力者の好みや、世間の流行(平安時代に妙見信仰が流行)にも合わせて、取り入れていった。しかし古層にあるものは…
秩父夜祭り、昼間のメインストリート
大丈夫かなぁと心配になる寂れムードの秩父市内。どこも地方はそうだと言うけれど。
寂れてしまいました
寂れ具合はかなりのもので、その割に人がめげてないみたいのが救い
誇らしげに山車にのる男たち
とにもかくにも祭りなので