夏の終わりという映画を夏のはじめにみた
瀬戸内寂聴が自身の体験を基に描き、100万部を超えるベストセラーとなった同名小説を、満島ひかり主演で映画化した大人のラブストーリー。『海炭市叙景』で高い評価を得た熊切和嘉監督が、小林薫演じる年上の男と、綾野剛演じる年下の男という2人の間で揺れ動くヒロインの心情を丁寧に描き出す。
昨年、テレビドラマ『ウーマン』を放映していた時期、「主役の満島ひかり、いいよ」とさんざん教わり、『ウーマン』観よう観ようと思いつつ一度も観れなかった。以来ずっと気になっていた満島ひかり。それがこの7月、日本映画専門チャンネルが特集を組んでくれたのでやっと見れた。題して「特集 満島ひかりがみたい!」だ。6本放映した中の『夏の終り』は、最初に観た一本。
この映画の特徴は、ゆっくりした展開と、会話の極端な少なさと、昭和30年代の風景の味わいだ。あんまりノロノロしているので眠気に幾度も襲われ中断してはまた見始めるを4回繰り返したので、最初の方に何があったのか忘れてもうた。
軽部真一の解説付きなのだけど、ゲストになんと瀬戸内寂聴さんその人が出て来て作品のなりたち、背景、本編の感想を述べる。ぶっちゃけた話、本編よりそっちのが面白かった。瀬戸内さんは満島ひかりについての感想を聞かれて「すばらしい女優さん、命がみなぎっている」「満島さんでもった映画」みたいな事を言っていて、まったく同感だった。
で、女性映画的かというとそうでもない。例えば当時の女性が置かれた状況を反映しているかというとそうでもなく、瀬戸内寂聴さん個人の生き方を描いている。つまり何らかの女性問題が浮き上がってくる、ということな特にない。もとより作家を目指し自立した自己をもっていた瀬戸内さん自身がモデルなのだから、そうなるのかなと思う。わかりにくいのは映画中では(そして小説中でも)瀬戸内さんは染色家になっている。解説でご自身が言うには、自分がモデルの私小説と思われたくなくて染色家という設定に変えた、という。
小説はそうとしても、映画にするときは作家に変換してくれたらよかったのにと勝手なことを思った。年上の売れない純文学作家の小林薫との「愛」を断ち切れないのって、本人も小説を書いていたからってのが大きいのじゃない? はたで観ていて、どうしてあんなにステキな綾野剛を選ばないんだと不思議で不思議でしょうがなかった。綾野剛じゃダメである感触が伝わらないというか…
だからって小林薫演じる小杉慎吾が魅力がないとかじゃない。というか見事にこの役にはまりきっている。瀬戸内寂聴さんも慎吾のモデル(である実在の作家でかつての恋人)に仕草までそっくりであると、大絶賛していた。そのモデルを知る由もないわたしでさえ、これはそっくりに再現されているに違いないと思わせる実在感だった。それだけになんかね…同じ作家としての女の姿を見たかった、というかね…
年上と年下のふたりの男性の間で揺れ動く女性、という設定から連想するような甘やかな感じはほぼ皆無。苦み渋みが多く、いたってストイック。瀬戸内さんが最後の最後に解説するに、年下男性の方は、のちに家庭を持ったのに瀬戸内さんへの思いを引きずったままで結局自死を選んだ、という。なんかもう軽いショック受ける話だった。
そこらの実話は脇に置くとして。りんとした和服姿、細い指で鯛焼き?をハフハフと食べる姿、整然と片付いた和室に座す姿など、満島ひかりファンならば必視聴なのは間違いなし。わたしもファンになりつつある自分を感じている。