蒼の乱—-風を愛した女の伝説—-を映画館で観た
映画友達のWさんが「またゲキシネやるから観よう、観よう」という。
当方、ゲキ×シネは今まで二回観ている。一度目はレビュウも書いた『髑髏城の七人』。二度目は石川五右衛門の活躍を描いた『ZIPANG PUNK~五右衛門ロックⅢ』。こちらは泥棒という設定が生かされていないのがどうにももどかしく、感想を書くにはいたらなかった。なので今回Wさんに誘われたはいいが、落胆するのもイヤだしどうしようかなーー・・・と迷った。が1日なら映画の日で1100円と安い。それに前回渋谷まで『私の少女』観るの付き合ってくれたWさんなので、「おー行くか(^o^)」と返信していたのであった。
でもって『蒼の乱』観たら。
イントロ、自分たちの贅沢三昧の暮らしを維持するために民衆に重税を課す朝廷の面々が出てきて、白塗りの顔に麻呂言葉が憎々しさ+コミカル。さらにそこへ出てきたのが淡いブルーの異国の衣装をまとった「渡来衆」の女性。最初「渡来」というの聞き違いかと思ったが、まごうことなく渡来人を主役クラスに抜擢した内容なのだ。「これ超好みの設定だわ!!」と思わず隣のWさんに耳打ちしたかったが、うるさいので我慢した。
この段階で胸がドギマギし呼吸が荒くなって目を皿にし耳をダンボにして作品世界に吸い付いた。ここでの渡来衆は、「とつの国」を隣の大国に滅ぼされ、10年前日の本に渡ってきた人々という設定だ。渡来衆は本来もっとおおぜい居たのであるが、なんやかなで数が少なくなり、今は蒼真(天海祐希)と桔梗(高田聖子)がメイン。そこへ、やはり朝廷からは迫害・搾取される板東と蝦夷の民がからみ、複雑なストーリーを展開していく。複雑すぎて、二転三転四転五転するため、こうなってああなったと説明しづらい。ただはっきりしているのは、『髑髏城の七人』では裏コードだった「対朝廷」「対帝(みかど)」「帝を滅ぼして自分が天下取り」が、今回は言語化され、どんなにボンヤリした観衆でも理解できるように説明されていた。
そのため、『髑髏城の七人』では物足りなさとした残った「帝を滅ぼす」ことの意味、現代に置き換えれば「天皇制」への思考にちゃんと取り組んでいたため、ごまかしがなく、それが面白さにつながっていた。
反面犠牲にしたものもある。『髑髏城の七人』にはあった隠微な魅力だ。今回ストーリーの節目節目に早乙女太一が殺陣を披露、そのたびに妖艶な流し目で魅了したが、『髑髏城の七人』で見せた悶絶級のソレほどではない。思えば『髑髏城の七人』では森山未來、小栗旬、そして早乙女と、若い三人の男が競い合ったからこそ、あそこまで個々が輝いた、のかもしれない。そのように考えると、今回の主役は女性であり、しかもどこまでもストレートな力強さが美と合体した天海祐希が主演であるため、早乙女さんも霞ぎみだった。
そこが惜しいので途中早乙女さんに関して考えたのは、「トコヨ(平幹二朗)の小姓ってことにすればいいのに」「なんで愛人じゃないんだよーもっと際どく乱れてくんないと-」とかだ。が、そんな寄り道をしているヒマはないほど、政治的なテーマを追求し、なおかつ三時間の間休憩なしでたたみかけるように話しがすすむ。正直、もっと間合いをとった場面を多くもってきてほしかった。
が、くどいようだが、朝廷、渡来人、板東(蝦夷も含む)の三つどもえの関係に真剣に取り組んでいるため、あんまり遊んでいる余裕はない。わたしも観てて、約2/3あたりまでは、政治的興味、歴史解釈がどうなるのか、あるいは日本の体制構造への批評眼がどう発揮されるのかと、そちらに気を取られ殺陣なみにハラハラした。ただ、それも2/3までだ。登場人物達のやたらと熱い思いを観ているうちに、だんだんと帝とか朝廷とか政治とかどうでもいいやという気持ちになっていった。蒼真や小次郎の思いの方がどう考えても胸を打つし優先度が高い。
といっても最初からどうでもいいわけではない。戦乱と政治をちゃんと追究し、その中でそれぞれが色々考えていたからこそ、政治や帝がどうでも良くなってきたのであって、そこを描かなかったら思いもへちまもないだろう。副題の「風を愛した女の伝説」にある通り、主役は蒼真。平将門小次郎は、あくまで脇役。故国を失いこの国に辿り着いた人が、どういうプロセスで土地になじんでいったかを想像させる、素敵な作品。ちなみに衣装でもそこらを丁寧に表現している。確かに、将門が主体的に中央に刃向かって朝敵になっているわけではないため、逃げ腰感もある。が、あくまで主役は蒼真(蒼真は相馬にもひっかけている)。
今目を閉じて作品を思い出すと、真っ先に浮かんでくるのは、板東の大地とそこに吹く風。舞台だから、特殊な方法で風景を映し出しているのだけど、天海祐希は夫小次郎が愛した風を通じて板東を好きになる。もとより渡来衆でもあり、彼女にとって帝もヘチマもない。戦いを指揮したら、もうぜったい小次郎(松山ケンイチ)より人望あるし強いと確信させる女性で、実際小次郎の不在時に大将になった時は、かなり好戦的になって危ない人になっていたのが、リアリティあった。
そんなで、ともかく、もう一回目を閉じて思い出すと、浮かんでくるのは、天海祐希さんの、深い確信に満ちた声と、風を愛する強さとあたたかさと、馬の黒魔鬼(くろまき)の人間(馬)離れした面白演技である