返礼品競争から降りた所沢市、グッジョブ!!
「返礼品競争から降りる」 所沢市がふるさと納税で方針(ハフィントンポスト)
ふるさと納税がいつの間にか、豪華な返礼品競争になっていた。
もともと日本人は、結婚祝いや出産祝いに対して返礼品を贈り、香典をもらえば香典返し、近所の人からお裾分けされればこっちも買ってでもお返しする、といった贈答返礼行動をとっている。
それどころか、重病で入院中の見舞品に対してすら、何らかの返礼をせんと心を砕き心労を背負うことになる。
わたしの義母がそうだった。彼女は膵臓ガンで亡くなったのであるが、最期に近くなっていったんは自宅へ戻った。その時、同居の嫁(わたしの義弟の妻)に、
「(もらった見舞い品に対し)ぜったいに貰いっぱなしにしないでっ(だからすぐに返礼を贈って)」
と、すごい剣幕で言い放っていた。
それはあたかも、いかなる負い目も負債も弱みも絶対に背負ってなるものかっと決意しているみたいだった。
しかし、そばでやりとりを見ていたわたしは思った。
それじゃあ、お義母さんの容態を気遣ってお見舞いを贈った人の気持ちはどうなるの? と。
そんなん贈り返されたら、「かえって気を遣わせてしまった」と、贈ったことを後悔するだろう。そして相手を心配する自分の気持ちが必ずしも伝わらなかったことを、悲しむだろう。
昔の武家社会の上流階級とか、今でもお金持ちクラスの物のやりとりならいろいろな腹づもりがあるかもしれない。けれど、今死に神がお迎えに来ているというのに、そういう交際術は無益としか思えない。
物を贈る、贈られることがどれほどややこしい心理状態をもたらすかというのは、もっと研究されていい。たとえば→→お歳暮・お中元のお返しについて – お歳暮やお中元は専ら贈る側… – Yahoo!知恵袋 ←理屈と感情が混乱しているのがわかる。ベストアンサーも共感できる。
わたし自身も、贈ったor貰った、という経験で本当に喜ばれたor本当に嬉しかった、という後味は、全体の1/4程度しかない。あとは、むしろ後悔したり、厭な思いをすることばかりなのだ。
これが人の世を生きるってことだよね‥‥と思ったりもするが、1/4の的中率は低すぎないか? と相当自己嫌悪。いやさ実際、こういうことでの自己嫌悪は、自分で自分の横面叩きたいくらいイヤなものなのだ。
それがゆえに、ここらのエラー&リスクを回避せんと、贈答があれば返礼することが義務に近いほど常識化する、という一方向への圧が増しているのかもしれない。
が、だからといって、「この場合はこういう対応するのが常識なんだよね」とばかり、ややマニュアルがかった対応をすると、途端に相手にイヤな顔をされる。つまり『マナーとして常識』になっているくせに、心がこもっていないとやっぱ駄目という、地縛霊か金縛りかってくらいの恐ろしさ。
書籍紹介
そんなことばっかやってるから日本人は幸福になれないし、楽しくないし、皆がコミュニティへの苦手意識をもつんだよな。
と当方、長年思っていて、以前『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』(honto)(Amazon)という本を読んだことがある。
日本で一番自殺率の低い町、徳島県の海部町(現・海陽町)に、なぜ低いのか取材に行って考察した本だ。
本は、海部町の人々の贈答行動には触れていなかったため突っ込み不足に感じたが、生きやすい町の特徴=「異質への寛容。(自分と違う考え方を排除しようとしない)」、「人物本位の他者評価。(肩書や容姿で判断しようとしない)」etc…という考察結果を見れば、当方の勘もあながち間違ってないと思う。
切に願うのは、ただでさえ金縛りの日本人に、ふるさと納税を受ける自治体が変な見本を見せないでほしい、ということ。
中には「返礼するの当たり前」と考える人も多いと思う。が、そう言う人にはこう答えてほしい。
「寄付と返礼では、閉じた両者の関係。
そうではなくて、あなたのふるさと納税額が町の人々の役にたっている。そのことをもって歓びとしてください。
<だいたい確定申告の時に控除対象になるのに、さらに返礼品を受け取るって二重取りもいいところじゃないか>」
<>内はオフレコで。
参照先リンク
岡檀の名言 | 地球の名言←海部町は実は「幸福度ランキング」も低いのがミソ。「幸福でも不幸でもない」のである。
#335 固定化された夢よりも今このときの心地よさを感じてみる – 岡 檀さん(和歌山県立医科大学講師) | mammo.tv
所沢市ホームページふるさと納税の返礼品、所沢市が廃止へ 市長「競争から離脱」(さいたま新聞)
京都・長岡京応援寄附金(ふるさと納税) | 長岡京市公式ホームページ←所沢市より先に返礼品を送らないと宣言していた唯一?の自治体。すごいです88888