ポーの一族、40年ぶりの新作『春の夢』

ポーの一族『春の夢』の表紙
ポーの一族『春の夢』

妹がLINEで、『ポーの一族』に40年ぶりの新作が出たことを教えてくれた。

『ポーの一族』はわたしら姉妹が愛してやまなかった萩尾作品だ。
とはいえ、40年もたつとその内容をほぼ全部忘れている。

40年の間わたしは、高校を卒業し、○○病院で働き出し、3年で辞めて杉並で暮らし、漫画家になろうとして挫折し、結婚し子どもが生まれ、子どもは小学校を出て、中学校を出て、高校を出てetcetcetc…………と、とにかく長かった。

『ポーの一族』の、エドガー、アラン、メリーベルといった登場人物の名前と性格くらいは覚えていても、ストーリーを思い出そうにも思い出せない。単行本も手元にない。今ごろ新作と言われても、戸惑いの方が大きかった。

が、妹は読めただけでもうれしいとLINE上で感涙にむせっていた。
…そんなに? それなら読んでみようか…と、「わたしも読む!」と返事をしていた。

その日のうちに注文。

数日後に届いて手に取った。

スルスルした手触りの、高級感のある表紙だった。

表紙のエドガーは、じっとこちらを見ていた。冷たくもなく温かくもない印象の、まっすぐこちらを見る目。着ている服はブルーのセーラー服だ。ん? 前からこんな服、着ていたっけ? まるで女子高校生のようじゃない?

40年前のエドガーの顔にあったのは、ただただ美だった。見るものを熱烈な恋情におとしいれずにおかない美。興味のない人には笑われるかもしれないが、少しも誇張じゃない。

今エドガーの顔にあるのは美というよりも、何か他のもの。何だろう? 40年という歳月がたったから?

まあいい。それはともかく読もう。

で、読んだんだけど、本作において続々と吸血鬼が増えた。
かなりの数、増えた。
ひとりはダン・オットマー。彼は、ポーとは別系統の一族の手によって、吸血鬼になった。死者を蘇らせることは神に逆らい、人の世にも外れる人外魔境もいいところであるが、息子のダンを失うことにどうしても耐えられなかったダンの母が、禁断の選択をしてしまったのだ。

ダンばかりではない。本作の舞台である第二次世界大戦のさなか、ドイツからイギリスへ避難してきていた少女ブランカもそうだ。彼女はほのかな恋心をエドガーに抱いていた。エドガーの方もブランカに「春の夢」を見ていたくらい、心惹かれていた。彼女は身勝手な恋情をアシュトンに抱かれ(今でいうストーカー)、強姦されかけた。その時、救ってくれたはいいがエドガーの本当の顔を見てしまい、塔から落下。そのまま死なせる道もあったのに、エドガーが助けてしまった。

といっても、エドガーにはその力はない様子だ。特にポーの一族の場合は新しい仲間の参入には一族の了解が必要なようで、勝手に不死にすることはできないらしい。そんなで、他の系統のルチオ一族のファルカに頼んだ。

どーーしてそんなことをする!? と、複雑な気持ちが収まらない。
ブランカの、最後のページの悲しそうな顔を見てほしい。自分を死んだものと思って思い出話をしている弟たちを遠くから眺めるのみのブランカの、顔。永遠の命を得たからといって、すこしも幸せじゃないのだ。余計なことをするなーーって感じだった。

まったくもってエドガーってやつが解せない。しかもエドガー、彼女を妻的位置にするわけではなく、ファルカに譲っている。ここらへん、アランをどうしても選んでしまった、ってことなのか(ブランカを連れて行くとアランが嫉妬する)、それともエドガーのエゴイズムってことなのか?

ブランカは、スミレの刺繍のブラジャーを伯母からプレゼントされてとても喜んでいた。強姦されかけた時、ストーカーのアシュトンがむしり取ったのもこのブラだ。ブランカの夢見た幸せは、いつか母になり家庭をもち、平和で楽しい日常を生きることだったに違いない。そうでないなら、スミレの刺繍のブラジャーをあんなに愛しそうに抱きしめるだろうか?

その夢を砕いたのは戦争であり人種の壁(彼女の父はユダヤ人?)であり、身勝手な性の夢を見るバカ男(アシュトン)だった。

あと付け足すなら、恋した相手がポーの一族であったことも、そうかもしれない。

さらにもっと最後のページに注目してみよう。最後から4つ目のコマにダンの母がいる。この小さなコマに、ダンの妻も一緒にいる。次の小さなコマには、母が単独でいて、少し微笑んでいる。

ダンの妻も知らないダンの秘密を、ダンの母は知っていることが現れているコマだ。とてもとても小さなコマで、老眼鏡をしないと母の表情が読み取れないくらい小さいのだが、強烈なコマだ。ダンの母は、死んだはずのダンと、つい先日にベニスで会ったと分かる。

ここにあるのは、妻よりも優位である母の姿、と言える。

この発見に軽いショックを受けたわたしは、本作には、全部で何人の母がいるのか数えた。

  1. ヨハンナ(ブランカの母。ダンの妻の妹)
  2. マージ(息子は5才で事故死)
  3. ファルカの妻(元はファルカの兄嫁)
  4. ダン・オットマーの母

思ったほど数は多くないが、それぞれが特徴的だ。『ポーの一族』の中で母が妻よりも優位なのは、ある意味当然かもしれない。と思いついた。

ポーの一族であり不死の身であることの対極にある事柄が、命を産むことだからだ。つまり、エドガーは「母」の対極にある存在であり、「母」と対になっている、と言える。

ここであらためて表紙を見てみよう。じっとこちらを見ているエドガーを。ブルーのセーラー服を着ているエドガーを。よく見ると、背景に乱舞している花は、スミレではないだろうか? 本来、バラの気を吸うエドガーを飾るのに一番ふさわしいのは、バラだ。が、ここであえてのスミレ。

スミレは可愛い花だがバラに比べたら貧相すぎる。どこにでも咲く雑草みたいな花だ。美の極致のエドガーを飾るなんて、40年前ならありえなかった。

ひょっとしたら本作のメインモチーフである「春の夢」を含むシューベルトの『冬の旅』のどこかに、スミレが登場するのかもしれない。当方学がないので、まったくの初耳の歌曲であるが、ザッと見たところ、「春の夢」以外はほとんど暗い章。なので「春の夢」の中の「5月の花」が、スミレをさすのではないだろうか。

夢を見た 春の夢
5月の花の夢 はしゃぐ小鳥たち
草原は緑 おんどりの声!

目覚めると 暗い部屋
屋根の上で 烏が鳴く!

冬に 春の夢を見る 私を
窓辺の葉は 笑っている

愛の夢を見た
美しい乙女に
まごころと キスを

よろこび そして しあわせの
夢を見た

春の夢歌詞。本作より
ネットで見るとさまざまな歌詞翻訳あり

スミレは平均気温の高い日本では3月には咲く。ブランカの故国(であり、『冬の旅』の舞台?の)ドイツ(特にハンブルグ)ではどうだろう。→gartenjournalによると、スミレが4月から5月に咲くということで間違いなさそうだ。念のためにイギリスの年間気温を調べドイツのそれも調べて比較したところ、5月の気温はだいたい同じだった。(日本が信じられないくらい暑い!!)

ということは、春の夢としてのスミレと、ブランカが大事にしたブラからの連想で乳房のお守りとしてのスミレ。すなわち「母」を想起させるスミレのイメージの中にエドガーを置くことで、夢と不死と母が重なり合った。そんなユニークな絵を見せてくれたのではないだろうか…。

ひょっとして、エドガーが反転するとお母さんになる…!? というまさかの精神分析っぽい発想も生まれた。そして思った。「ポーの一族と萩尾望都という人こそが、わたしたちの春の夢だった」と。その夢は、色の違うフィルムを重ねたようなものだ。ひとつは、作品世界が見せる夢。もうひとつは、萩尾望都のような漫画家になりたいという夢。

幸か不幸か、漫画を描く才能がほぼ皆無だったため、わたしたちは諦めて家庭をもって親になった。さらに以前にさかのぼって言うと、妹は、「あたしは漫画家になる」と宣言してせっかく入った看護学校をやめてしまった。のちに両親から聞いたのだけど「あの頃はわたし達も学校に呼び出されて大変だった、こっちも説得したけどS子の決意が固くて、結局やめてしまった」。漫画家になることを夢見た人間が漫画家になれなかったらどうするんだ? って話で、いろいろ大変だったのだ。でも、たぶん後悔はしていないと思う。

 

そんな春の夢を見れて良かった。と思っていると思う。

春の夢があって母になるのと、春の夢なしで母になるのじゃ大違いだし、ぜったいに前者がいいからだ。

 

そんなこんなで、次回作があったらまた読みたい。ある意味、前より楽しみになってきた。

 

 


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