PART2.明治元年から150年。今振り返る、明治と大正と昭和と平成。もしくは日本の右と左
沖縄の翁長雄志知事が亡くなってしまった。
沖縄にこれ以上米軍基地を作らせないために政府と戦ってきた。
政府と戦いたくなんかなかったろうに、結果そうならざる得なかった。
そもそも日本政府が反日本的なのだから。
地位協定改定も要求 観光客数最高に 翁長県政の歩み – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース
「沖縄の人をなめてはいけない」 翁長知事が問い続けた不条理 語録で振り返る | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
上リンクによると、翁長知事は、「辺野古以外の基地問題で県は日米地位協定の抜本改定を求め、17年ぶりに独自の改定案をまとめ国に要請」していたそうだ。
どういう改訂案なのだろう? とても興味深い。
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どうしてこんなにアメリカを手厚く優遇する地位協定を作って守り続けているのか不思議で不思議でしょうがなかった当方なのだけど、前回紹介の本を読んでいて、「親米右翼のせいじゃないか?」と思った。もちろん、親米右翼は戦前は存在していない。戦争に負けてGHQが日本を占領し、日本の軍国的なるものを根絶やしにしようとした時に始まっている。なにせ、「柔道」ですら、軍国的とジャッジされあわや抹殺されるところだった。
(実際柔道は流派によっては強く皇国的であり軍国的ではあった)
それを、民主的な体育教育の一環と位置づけてGHQに強くアピールすることで、かろうじて生き残った。
(本にそう書いてあった)
そういった戦後の状況に加え、東西の冷戦時代は、左翼は社会/共産主義であったから、右翼がアメリカよりになったのはある程度は理解できる。
が、東西冷戦時代はとっくのとうに、終わっている。
今、親米右翼である理由がどこにあるのか?? 反米でなくてもいいから、せめて単に右翼であってほしい。
ともかく、翁長知事の残した「日米地位協定改定案」が早く話題になればいいなぁ。
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あと、のリンクにもあるように、翁長知事は「沖縄に在日米軍専用施設面積の74%が集中するのは大変理不尽で、許されるものではない」と主張していた。この74%という数字に対して「そんなにない、北海道の方が面積大きい」とか言って、沖縄ばかりが負担を強いられているわけではないかのように、言う人がいるんだけど、ちょっと待てと言いたい。
防衛省の出している資料見ても、在日米軍人等の施設・区域内外における都道府県別居住者数だけでも、圧倒的にあの狭い沖縄にひしめきあっている。北海道には5人しかいない。同じく防衛省の資料見ても沖縄への集中具合がよくわかる。
もうちょっとよくググってほしいものである。