音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!

昨今の情報洪水と自身の華麗なる加齢のせいですっかり忘れていた三木監督サン。いやもうワタシ映像作品中誰のレビューを熱心にしてきたかって三木先生なのに、ここまで忘却できるのかってくらい失念していた。
というのも三木作品、もともとが人の心に無駄に残るような圧の強い表現ではなくて、「自分がおもろいことやってるだけや」的な気配があるから、忘れてもさほどチクりと胸を痛ませない、そんな相手の自由を尊重してくれる表現なのだ。

と、やや適当なことを書いてしまったが、先月から人のタイムラインに流れているのを見て「なんだこの“音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!”ってのは?」とチラリと思ったもののそのままスルーしていた。ところが「声帯ドーピング」とかいう不気味なキーワードが漏れ聞こえ、もしやと確認したところ映画だったのである。それも三木映画。そうと知って「おーーおーーおーー!!」と喜んだことは喜んだのだけどやはり「声帯ドーピングって何!?不穏すぎる!」と心はザワついた。

そんなで恐る恐る観に行ったのであった。

場所は吉祥寺オデオン。映画館の入り口で素敵な紳士(スタッフさん)が出迎えてくれた。なんで細かくこんなことまで書くかというと、この映画、吉祥寺がちょっとした舞台だったのだ。知らなんだ。「吉祥寺にこんなところあるのかなあ?ありそうでないんだろうなあ」って感じの素敵な場所がでてきて。まあその話は後述するとして。

映像はしょっぱなからして「あ、これこれ三木作品ってこうだった」と思い出すアナーキーな修羅場。今の時代って、清潔第一の片づけブームの副流煙大反対の汗の匂いを親の仇みたいに憎んで「男臭かったら氏ね」と言わんばかりのトンデモクリーン指向の時代だというのに完全真逆。あの可愛らしい千葉雄大さんがまさかの汚れ役に挑んで思い切り踏んづけられたり。

「声帯ドーピング」はすぐに始まった。何やら荒み切ったロックスターのシンがお便所で喉に注射を刺したのだ。ちなみになんでそんなことをするのかというと、シンはカリスマ的な人気を誇るロックスターで驚異の歌声の持ち主なんだけど実はその声、声帯ドーピングの注射で作られた声、だったのだ。

不気味なことを思いついたもんだぁ……と絶句したのもつかの間、「声帯ドーピング」の注射を刺したあと、ウルトラQみたいなレトロな特殊効果で画面がいっぱいになる。まっかな細胞がどひゃーどひゃーって流れるのだ。しばらくその映像を見せつけられたあとシンが驚異の歌声でステージに立っている、というわけ。

で、始まった曲が「人類滅亡の歓び」。

正直な話し、「人類滅亡の歓び」って、ほんと、いいこと言ってくれた、って思った。「滅びろや人類」って、思うもん。人類ウゼーッみたいな。

これを冗談でも言うわけにいかないのは、本当にやっちゃいたそうな、アイロニーも諧謔もギャグもレトリックも解さないバカがウジャウジャいるから。北朝鮮の金なんとかとか。トランプとか。イスラム国とか。隙あらばの中東の誰かとかロシアの誰かとか。一般人でも短絡的なツイッタラーとか。人類滅べ~なんて言ったら本当に洗脳されそうなあぶなっかしい人がいっぱい。( なぜ起きた?弁護士への大量懲戒請求 – NHK クローズアップ現代+ ←こんな感じ)

そう懸念したからかどうか、「人類滅亡の歓び」は案外POPな展開となる曲だった。その後だ。シンが喉から血を吹き出すR12な真っ赤なシーンになるのは。どこまでもどこまでも吹き出して、観客たちに降り注ぎ服を汚した。キャーーっという悲鳴があがり凄惨なテロ現場のようになっていく……

場面が変わって路上。数人のバンドメンバーをバックに、なんともかわいい女性がギターを抱え歌っている。

「次の歌、きいてください。『夏風邪がなおらなくて』」

これがもう吹いたね。あまりにどうでもいいタイトルで。その歌そんなに聴きたくないですって感じで。

その歌声が小さすぎて聞こえないってんで、ギャラリーたちからブーイングがあがるんだけど、その女性の声は大きくならない。いくらかわいい女の子が歌ってても、さすがにイラついてくるってのもあって、だんだんとギャラリーが減っていく。

本人は表情を変えずたんたんと歌い続けるのだけど、うらさみしい気の毒な場面になる。で、ここでだんだん思った。「聞こえるって何だろう?」「聞こえないって何だろう?」「声が大きいって何だろう?」「声が小さいって何だろう?」……

変な思いつきに見えた「声帯ドーピング」という発想がふくらみをもってきたのだ。

聞こえないとどうなるんだろう? 端的に言って相手に届かない、ということ。届かないし響かない。つまり歌ったのに歌ってないのと同じになる。
歌にはいろんなタイプの歌がある。必ずしも大きな声で歌う歌ばかりではない。
しかし、ここでは大きな声で歌うことが圧倒的に肯定されている。
大きな声で歌う、テンションを上げていく。
そうでなければかき消されてしまう、もっと大きなものに、もっと巨大なものに、巨大な過去に、巨大な未来に


さっきの吉祥寺の話をしよう。
吉祥寺の駅からどっか方向へ歩いていくと、70年代ヒッピー文化がよみがえったような路地に入る。
ふうか(さっきのかわいい女性。吉岡里帆)のおばさん(ふせえり)が彼氏(松尾スズキ)と一緒に住んでいて、ふうかもここにいる。
おばさん夫婦はソフトクリーム屋を営んでいる。店の名前は13。
おばさん夫婦も70年代ヒッピー文化風だ。
ふせえりさん、松尾さん、ともに三木作品のレギュラーメンバーといえる方々がお約束どおり出てきたので、逆におどろいたほど。しかも松尾さんは「ほにゃらら」的に何か言ったかと思うとすげー寄り目でコミュしてきた。吹いたね。ほんと可笑しかった。
ふせえりさんもテレビ付けると誰かのおばさん役で見かけるけど、70年代ヒッピー文化(をひねったような黒い長い髪)が面白い。いやむしろこれでやってくれないとこっちが困る。同世代だし。
他にも岩松了さんとか普遍的に出てて、こちらも普遍的に可笑しかった。
とはいえ全体に微妙に加齢しているから若干精彩を欠いてきたか……? って心配がよぎったけど、そんなことなくて、まだまだ元気。

つまりこの年代は盤石の体制で何も心配することはないのだ。
心配なのはあんただよ、ふうか。
どうすんだよおまえ、そんな小っちゃな声で夏風邪とか歌ってて。
誰にも聞こえないよ
夏風邪で死んだって誰も気づかないよ

ふうかが抱えているのはお母さんが贈ってくれたギター。
母親がどんな気持ちで贈ったかって思ったら、もうこれが泣けるわけよ。
お母さんは、なんでもいいからでかい声で歌えって思ってるよ。
うまいへたじゃない。
届け届け、この子の歌、誰かに届け、誰かの耳に、誰かの心にっ

といっても母親に何かできるわけじゃない
母親ってそこらはほんとうに無力で…。

「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」って、映画のタイトルにしちゃ長すぎて意味不明って思ってたけど、それ以外のタイトルないくらいの心の叫びなんだ。

日本なんて若い世代の自死率めちゃくちゃ高くて世界一らしい。
一人の自死者に対してその予備軍は何十倍、何百倍もいるってことだから、ほんとにもー大丈夫なのかよ~
厚労省の統計からキャプチャ
若い世代の自殺、死因1位は先進国で日本だけ…H30年版自殺対策白書

映画の感想でそこまで手広く考えてもしょうがないんだろうけど、安倍さんはそんな現実知らんのだろうなあ。


このあともいろいろ起きる。
ふうかの声が届いたのか? とか。
シン死んじゃったのか、とか。
「夏風邪がなおらなくて」よりも「体の芯からまだ燃えているんだ」がイイネ!! とか。

映画の自作イラスト
とりあえず描いてみました。汗