パッとしない日記、原発編
川内原発の再稼働を、鹿児島県の伊藤祐一郎知事と県議会が7日、決めたそうだ。
なんともいえずパッとしない、お便所の切れかかった電球のようなうす暗い気分になった。それにこの無力感は何だろう? 全員てわけじゃもちろんないが民意的には反対の意思をあんだけデモ等で示してきたのに、ガン無視された…。頭のおかしい左翼扱いされるのもいとわずデモったというのに。そればかりか、地方の貧しさがあるから原発はやめられないのだから馬鹿な(形の)反対するなと、別に地方の貧しさに興味のなさげな人に苦情言われた。あと、なんだ? 要はバカが大きな声を出すのが不快であるという、秩序の番人みたいなインテリ(というのか学者というのか識者だか何か)に、「そんな形の反対じゃだめ」「ぼくみたいに考えて」的なわけわかんないこと言われた。
一般人って専門家じゃないんだから専門家から見たらバカなのしょうがないよね。普段はほかの仕事しているんだから。専門家(というのか知識人というのかry)が胃穿孔おこして緊急オペになったら夜中でもなんでも仕事させられたり、専門家(というのかry)がたくさん専門書の御本読めるように印刷したり運送したり。一般人に専門家なみの知識や見識求める方がおかしい。しかも専門家(ry)の学歴みたら国立大卒で国民の税金が投入された大学出てたりするから余計釈然としなかった。少しは国民全体に貢献するように思考したらどうなんだろう。
なんかもうムシャクシャするから原発なんかどうでもいいやって気分になった。
とはいえ人に左右され過ぎるのはよくない。原発は原発。第一、原発はもともと彼らの手に負えるようなもんじゃない。「核なき世界」?だったか、本で読んだけど、核実験のやりすぎで世界中プルトニウムがてんこ盛りに余ってて、使え使えという圧力がすごいらしい。あの本は絶望的すぎて感想が浮かばず、著者の人物評でお茶を濁したほどだ。とにかくウンザリする弩暗い話なんだ。
でも福島も当初怯えたほどには人的被害はなかったのだし(フクイチ作業員は本当に大変だと思うが)、これからも気を付けていけば、大丈夫そうだ。気になっていた福島産の農産物についても、検査もしているし大丈夫じゃないか。もち、わたしも今では福島の日本酒とか、福島の焼酎とか、福島のワインとか、福島のビー……wを堪能している。
川内原発は福島第一に比べると規模も小さいし、プルサーマルも使ってない。東京に電力を送っていた福島原発は桁違いに巨大だったってことか。
同じ原発でも鹿児島のは素朴に感じる。命の問題も発生しづらいかもしれない。でも、福島だって動物は悲惨だったよ。放射線被害で死んだのではなく、捨て置かれて餓死したのだけど。その代わり希望の牧場の牛は元気そうだ。
※脚注:福島の日本酒は好きですが焼酎、ワイン、ビールは飲んだことないです。
何かあった時、川内原発にも吉田所長みたいな人がいるといいけど
何にしろシニカルにはなりたくない