腑抜けども、悲しみの愛を見せろ,media:日本映画、DVD
観てからしばらくたっているので思い出になりかけている、とはいえ、今一番思い出すのは、サトエリのかっこよく快楽的に細い肢体と、肢体にまとわりついていたワンピースの薄い布地と、それらが作った輪郭と輪郭がくり抜いた田舎の田園風景である。
田舎の田園の中で、場違いに垢抜けて美しい輪郭のサトエリは、実は顔はよく見るとかなり面白く、正面から見るとマナコばかりがギロギロして鼻がぺしゃんこで可笑しかった。そんな彼女が演じたのはいたって性格の悪い女で、妹を虐待して罪悪感ゼロ、反省の色ゼロ、おまけに才能までゼロのくせに女優になりたがっているという、自己中心派なやつなのであるが、この役は見事なはまり役だった。
少し以前に他の記事でBPD(人格障害といってしまえばそうであるが、本人がその「病名」を知ったらどう切れるか分らないので、恐ろしくてとてもそんな言い方は出来ない)に少し触れたが、病院にいるBPDの方々は、サトエリ演じる澄伽(すみか)の性格をBIGにした感じである。この、他人を巻き込んで不幸のどん底に叩き落す感じ、周囲に自殺者事故死者の死体が累々と積もる感じは、病気とでも考えないと救われない。しかし、澄伽の妹、清深(きよみ。佐津川愛美)はそんな姉にいくら苛められようと、姉を病気に還元するような真似はしない、どころか、最後の最後にいたっては、怖れを振り切りまっこうから姉を批評し対決するのである。あまつさえ、なおも無体に暴力行為に及ぶ姉を、禁忌するどころか、その面白みと美貌に惹き付けられるまま、姉を絵画化、漫画化せずにはいられない業を持つ。業というか、愛といってしまえば愛といえるだろうか。そんな妹だから、姉のことを見離すことはできない。
姉妹の兄である宍道(しんじ。永瀬正敏)も、さいごのさいごまで澄伽を見離すことはなかった。宍道が一番悲しみの愛を見せた人かもしれない。宍道は良き兄としてしか生きられず、他のいっさいの自己イメージを描くことの出来ない、雁字搦めのオトコだ。(ちなみに雁字搦めとはガンジガラメ) 雁字搦めに悲しすぎる男ではあるが、自分の知り合いの中にもこういう人がいるように思え、それが誰だか思い出そうとしてなかなか思い出せない。
宍道の嫁である待子(永作博美)は、赤ちゃんの時コインロッカーに捨てられていて、施設育ち。見合いで宍道と知り合い、田舎まで嫁に来た。境遇は一見悲惨だが底抜けに明るい。最近映画とかでこのタイプの不幸アプローチをよく見かける。例:嫌われ松子など。これは、不幸だから悲惨だからと陰気になるには、エピソードがありふれて来たのと、悲惨すぎて暗くなることすら出来ないのかも知れず、その底にある悲しみの真のエナジーを読み解くカギを、あらたにみつけるべき時代かもしれない。そんなで、永作博美はフルスロットルのバリバリエンジンで笑顔全開なのだった。あの笑顔は誰かきっと永作スマイルと命名しているに違いない。永作さんはセリフの歯切れがよく、聞き取りやすいため、ストレスを感じないのも嬉しいところである。
そんなこんなで、本作品の醍醐味のごく一部でも伝わったであろうか。
実はこの映画の見所は、妹・清深の描く漫画の部分にあるので、これはなかなかお伝えできるものではない。
また、清深という、漫画を描く業をもった女子を描いたところに、この映画の最大級の面白みはあるとわたしは解釈する。
しかし、ぶんか社の「ホラーM」の新人賞は100万円ももらえないというウワサもあり、せいぜい2、30万だというのだが、真相はどうなのか。清深のその後なんかも、知りたい気がする。
姉妹の東京での暮らしぶりを見たい気がする。
けど、東京ではビルとか車とか輪郭が多すぎて、田舎でほど美しく見えないかしれない>姉
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