☆404 Blog Not Found:群衆の責任、いずこ – 書評 – ウィキペディアで何が起こっているのか
ウィキペディアの怪しさが最初に露見したのは、あれはいつだったか。
宮内庁や議員会館からの書き込みが発覚した頃だったか。
(参照:総務省や文科省もWikipediaを編集していた 「WikiScanner」日本語版で判明2007年08月29日)
以来、なるべくウィキペディアは使うまいとしてきたものの、最近ではつい使ってしまう。
自分の調べ物としてもだし、ブログを書く際、論拠として使ってしまうことも多い。
というのも、ウィキペディア以外から引いてくると、「どうしてここから?」という理由に興味を持たれ、その分他に関心が逸れてしまうから、というのもある。
ウィキペディアの書いていることが公正かどうかよりも、情報ソースとしての無色透明さが優先されてしまう。
ここ数年で募ってきたモヤモヤ感があって、ジャーナリズムや学問領域まで含め、すべての言説が政治、もしくは広告なのではないかという疑いだ。
ウィキペディアも当然その疑いの中にある。
のであるが、ついついそれを忘れさせる無色さがあって、考えてみれば恐ろしいことなので今一度思い出さねばと思った。
といっても、この書評が言いたいのはそういうことではないようだ。
ソーシャルメディアにおける悪しき群集のありようのことのようだ。
嫉妬心を利用することや、読者責任、群集と共存する道について考えようと、結んでいる。
わたしはこの本を読んでいないし、ハテナブックマークにも疎いながら、たとえばインターネットがいかに悪意を有効に発動し効果を発揮する装置であるかは、わたしなりによく知っているつもりだ。
たとえば、わたしがかなりのリアルでの有名人だとする。
わたしはかなり人気がある。
人気がある分、多くの反感もかっている。
そして、わたしにはコンプレックスがある。
鼻が長くて大きいのである。
整形できるならとっくにしているが、あいにく特殊なアレルギーなのでできない。
そんなわたしに対して、インターネットで悪意を発動するのは簡単なことだ。
それこそまずウィキペディアへの書き込み、そして2ちゃんねる。さらに、わたしの固有名と鼻を関連付けるアドワーズ。わたし自身はそのやり方に詳しくないが、さほど難しいことではないだろう。個人レベルでも相当にできるうえ、群集心理を使えば増幅される。
時間をかけて執拗にやっていけば、常にGoogleの検索結果一覧ページの上位に表示させることが可能だ。
このようにすれば、ほぼインターネット全域をあげて悪意で制圧したといっても、過言ではない。
そしてこの状況を改善すべく訴訟を起こしたくても、誰が対象なのかその相手が分らない。第一わたしは自分の鼻のことなんか話題にしたくないのだ。
不愉快きわまりないが、逃げ場はない。
インターネット、くそくらえ
☆ ☆ ☆ ☆ 
ただ、1)ウィキペディアの抱える、何を正当と受け取るのかいう判断(読者責任)の問題と、2)ソーシャルメディアにおける自由な言語活動を疎外する悪しき烏合の衆の問題と、3)ソーシャルメディアで表現活動をしていない(存在場がおもにリアルの人)相手に対する悪しき烏合の衆の問題は、性格と焦点が違ってくる気はする。
(3に関しては、よく韓国の俳優が自殺している。インターネットに影響うけすぎなんだよ!!)
それに個人的には「インターネット、くそくらえ」であることは一種感謝もしていて、ネットが桃源郷すぎてもリアルに戻れなくなるのでちょうどいい、という側面もある。
という面もあることはあるが、やはりどうしても気になる大問題なので、『ウィキペディアで何が起こっているのか』という本は読むかも。

投稿者 sukima