ハケンについて、ナカマについて☆part5
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 家・ さん(毎日新聞)
翻って、今の日本はどうなのか。「自分の努力が足りない、怠けているのをさておいて、親が悪い、先生が悪い、社会が悪いと、責任を押しつけてばかりいる。己を顧みることを忘れているわけですね。これをどうしたらいいか。やはり物心がつくかつかないかぐらいの小さいときからの教え、しつけが非常に大切だと思うんですよ」
「ブログランキング」で人気上位「非国民通信」が、毎日新聞のくせにまるで産経新聞のようであると、上記記事を引用。いろいろと興味深い論評を加えている。伏字にしているのは「非国民通信」の真似で、ヒントは「作家・曽野綾子」ではない誰か。
答えは平山郁夫で、思うに、この方が「あの頃はよかった」的に語る時代は、それなりに「平等」だったのではないだろうか。
平山氏が言うように、この時代はとんでもないどん底で、その時代を皆が懸命に生きていた。
日本の資本主義経済の本格的な始まりがいつなのか、この「戦後」なのか、それとも明治維新の頃なのか不勉強にして不明であるが、どちらにしても、日本の資本主義経済の黎明期においては、ほとんど多くの人が平等にスタート地点に立っていたのではないだろうか?
今、大企業のキャノンやトヨタだって、おそらくは創業者が知恵者で、とんでもない才覚を発揮して会社を発展させた。
政治家にしても、良し悪しはともかく、裸一貫に近い場所から、おのれの才覚でのし上がっていったに違いない。
これもまた「格差」といってしまえば「格差」で、それだけ頑張り、才能やアイデアに恵まれ、力を発揮できる体力、精神力、知力をもち、なおかつ努力をし、運にも恵まれた。これらは、当人の努力だから、とだけで片付けられない不平等な面も多くあった。つまり、かなりのところ遺伝子レベルで決定されているようなことなのだ。
けれど、この時代の人々は、それを「不平等」とは思わなかった。
今思えばある意味立派に「不平等」であり、つまり「格差」は最初からあったのだけど、当時はそうは思っていない。
「あいつはすごいやつだ」と、おそらくは思っていたと、思われる。
そして、事実、すごいやつなのだ。
そのすごさは、さまざまな形で、さほどすごくない人へも利益をもたらし還元されたので、だから「不平等」だと思わなかった、という面もある。
が、やはり、すごいやつはすごいからすごいと思われていたってことだ。
だから、誰も不平等とか、格差社会とか言わなかったし、親が悪い、先生が悪い、社会が悪いとも、言っていない。
ところが、そのすごい人たちの頑張りがもたらしたダブツキというようなものが、まったくすごくない、凡庸な人たちを上の場所に押し上げ、そのまま居座らせている。その典型が、あほあほ総理の安倍晋三だったわけであるが、彼だけで終るかと思いきや、ぞくぞくと同じ現象が総理大臣の座に起き続けている。
経済界にしてもそうだろう。よく知らないけど、キャノンの社長なんかは、すごい人の甥だか親戚だかってだけであの地位にいるらしい。
実際顔を見ても、たいして才覚はなさそうで、保身だけって感じであり、自社製品への理解やビジョンすらあるのかどうだか怪しいし、そこから派生するはずの従業員への理解やビジョンもまるでない雰囲気が漂っている。
そんなこんなで、今の時代、議員はほとんど世襲。
経済界の人間も、なかには裸一貫スタート組もいるのだろうけど、大企業の場合はみな凡庸なくせに地位だけは高く握った金はテコでも離さない人たちばかりなのではないだろうか。
こういうのも一種のバブルといえる。人間バブルだ。
人間バブルは、どうやったらはじけるのか。
即座に戦争とか言われると困ってしまうが、なにか方法はないのだろうか。
思いつくのは、デジカメを買わない、車買わない、であるが、人間バブルな人たちは、まず真っ先に自分らの保身を行い、従業員を切り捨てるというやり方みたいだから、分がいいとは言えない。
それとも、はじける以外の何か方法があるのだろうか。
そんなで、トータルにいえるのは、毎日新聞もワイド版を使って思いつきの記事を載せるのはヤメレって話だ。
ちゃんと考えてから載せなって。
新聞社の人も泡沫なのかも、だけど。
※すみませんが、バブルの使い方間違っていたら適当に直しておいてください。頭ン中で