チェーン・ポイズン / 本多孝好

215130-1.gif今年の正月はとてもいい正月だった。ノンビリと家族と過ごせた。その最大の理由は、家族の中にあったいろいろな誤解や感情の行き違いが解消されて、穏やかな気持ちを取り戻せたから。だから三が日のうちに近所へお参りに行って、帰りに安いファミレスでどんどん注文してたらふく食べて、もちろんわたしは赤ワインをデキャンタ(大)で頼んでがぶがぶ飲んで、その帰りにみなにお年玉をたくさん上げて、どんどん金つかえーー!!とか景気良くけしかけつつ、安上がりに古本屋の大きいのに行ったのだった。


そしたら正月の古本屋が大盛況で人でごった返していて、老いも若きも夢中になって本棚と睨めっこしていて、こっちもウキウキした文化的祝祭気分に包まれたりなんかして、その熱気の中でわたしもかなり買い込んだ。
『チェーン・ポイズン』もこの時買ったもので、価格は1000円。本来の価格が1600円だからそれほど安くなっていなくて、というのも、奥付を見ると発行は2008年の11月でごく最近なうえに書き下ろしだった。以前本多孝好を読んだのは5年近くも前で『FINE DAYS』という短編集だったのだっけ。今、自分がhatenaに書いた感想文を読んだら、いったいこいつは何が言いたいのか? と我ながら呆気にとられた。けど、書き直すわけにもいかないのであれはあれでいいやってことで、こっちだ。
『FINE DAYS』と比べて、なんかすごく上手になったなと、言ったら生意気だろうか。いや、ほんとに、密度が濃くて題材の選び方も非常に共感を呼ぶし、現代的な内容であり、しかもちゃんとトリックというのか、トラップというのかが仕掛けてある。ちょっと難点があるとしたら、必要なことが必要なだけビッシリ書き込まれているためアソビが少ない点だけど、それとて緊張感を維持させるためには、よかったのだ。一気に読ませる。
複数の「自殺者」の人生がクロスするゴブラン織りが、ほどよいタイミングで切り替わる場面転換で描かれる中、トリックの中核を成すのは『二十歳の原点』の著者と同じ名前を持つ女性であるわけだけど、わたしが読んでいてもっとも強い痛みを感じたのは、犯罪被害遺族である持田和夫だ。持田のセリフが痛かった。
どうして、社会全体が、自分の妻子を殺した残虐な犯罪者をそろって糾弾しないのか。なぜ弁護団などが付き庇うのか。妻子にあの世で会うときは、社会の皆がきっちりと裁いてくれたと報告したかったのに、それができないのが口惜しい。と。
持田は深くこの世に絶望した。
わたしが持田に向けて言い訳したいのは、決して被害者をおとしめたり、加害者の「人権」を認めたるためではない、ということだ。
どうしてそのような犯罪をしたのか、という理由を知ろうとした過程の中で生まれてしまうある種の共鳴、とまではいかないが、また理解とも違うわけであるが、理由を知りたいがゆえの甘さ、というもののせいなのだ。このことは、社会が残虐な犯罪者の居場所を許したこととは違う。
幸か不幸か、作者のこの一件への切り込みは、さほどえぐるように深いわけではない。ほどほど程度にとどまってくれる。だから、エンタメ小説の域を外れてまで、犯罪被害者遺族の深い苦しみや、死刑制度の問題を突きつけては来ない。
そのことに、情けないがホッとした。
この小説が見せてくれるのは、今この同じ時刻、同じ日本に、たった今、どれほど多様な状況があるか、ということのめくるめく不可思議さという感じのことで、ある者はあたたかい幸福の中で優しく微笑み合い、ある者は叩かれ蹴られ殴られ血を流し、ある者は励まし合い鍛え合い互いに高め合い、ある者は空腹と寒さの中でなすすべもなく横たわっている…かもしれない、ということが、もう無限に多様に、たくさんたくさんある。
作中では、というかこの世では、そういう一見何の接点もない多様な人々が、どこかでクロスし、波及し、混ざり合っている。
そんないつ考えても信じられなくて、でも確かにそうである感じがうまく小説になっている。
といっても、ジャンルとしては「ミステリ」なので、読者にはしっかりとトリックが仕掛けられている。しかし、それが何かを詮索する必要はなくて、上手に騙されるといい。