≪感想文連載第4回≫


モールバンヒルズ「モールパンヒルズ」
【参照資料】
出て来る楽器:アコースティックギター 場所:イギリス南西部モールバンヒルズ 出て来る音楽:ビートルズ、カーペンターズ、ABBA、スイス民謡他さまざま おもな登場人物:ミュージシャンを目指す「ぼく」、その姉夫婦、姉夫婦の経営するカフェに立ち寄ったクラウト夫妻、「ぼく」のかつての教師で憎悪の対象ミセス・フレーザー
これの感想を書くのは難しいな… なんてっても5編中これだけロマンスのかけらもない話だから、あまり感想書く気が起きないのだ。ロマンスがなければ何があるかというと、いくつかのすれ違いといさかいがある。通常、読者は一人称(この場合「ぼく」)に感情移入して読むのだと思うけど、この「ぼく」は結構なエゴイストだから、「ぼく」の語りには反発を感じる箇所が多い。といっても、それほど誇張されたものではなく、その程度の身勝手さは普通程度とも思える。まして、「ぼく」は若いのだ。具体的に年齢は出てこないが、「大学をやめたばかり」とあるので20歳くらいか。さらにその姉マギーは4つ年上だ。『夜想曲集』(英題Nocturnes)の副題は「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」(Five Stories of Music and Nightfall)とあり、どれも夕暮れ、すなわち人生の夕暮れ時=中年以降を、もうひとつのテーマとしている。この中で相当する年齢なのはクラウト夫妻で50歳くらい。職業はプロの音楽家だ。
プロの音楽家といっても、欧州中を回ってポピュラー音楽やスイス民謡などを演奏をする、悪く言えばドサマワリ仕事だ。嫌な言いかたをすれば、音楽は音楽でも、職業としては一段下におかれるような立場かと思う。下に置かれる理由は(わたしが勝手に推測するなら)、第一にオーケストラなど正統な音楽教育下の音楽ではないこと、第二に、音楽産業のフレームの中に入っていないこと。CDを出せるとか、それで名声が手に入るとか、あるいは演奏がラジオやテレビで流されるとか、そういうのではない。そういうのではなくても好きな音楽をやれて、それで食べていけるのだから幸せ、とも言えるから、考え方次第ではあるのだが…。実際夫のティーロはいつも幸せと考え周囲にもそう吹聴している。けれどそれは、誤魔化しか強がりか思考停止か現実逃避という面が大きい。夫がそんなだから、妻ゾーニャは逆に怒ってばかりいる。
Malvern Hillsは、息を飲むほど美しい。
ゾーニャはこの素晴らしい丘陵地帯を前に「つまらないただの公園」と言い放っていた。妻のゾーニャにとっては、何から何まですべてが腹立たしい。それもこれも、夫が過剰に楽観的で、妻である自分の心情と何一つシンクロしようとしないからだ。楽観が悪いのではないし、考え方次第が悪いのではない。楽観を盲信することが悪い。
「ぼく」は将来プロのミュージシャンになって、この夫妻よりは成功するかもしれないし、しないかもしれない。夫妻が「ぼく」に関してどんな未来予測をしたのか、どんな評価の仕方をしたのか、というのもちゃんと書いてあるけれど、どっちにしろそれは「分からない」ことである。未来は、分からない。それより気になるのはむしろ冒頭部分に書かれた、肝心のロンドンの音楽業界の方だ。これ以上詳しく説明するのも気がひけるのだけど、乗りかかった舟なので言ってしまうと、「ぼく」がさまざまなオーディションを受けてそこで言われるせりふが、とても怖ろしい。才能云々の問題ではない。自分で曲を作る。自分で作詞作曲をする、この「自分で」を否定されるのだから。
クラウト夫妻の場合がそうであるように、人々は喜んで色々な曲をリクエストし、色々な曲を聴きたがる。けれどその多くはかつてのヒット曲だ。音楽が資本主義の仕組みにのっかりだしてからこっち何十年が過ぎたか、エルビスの時代あたりを起点にすればいいだろうか? 詳しくは調べないと分からないが、それ以来、膨大な数の楽曲が生み出され、ヒットし、人々の脳細胞に刻み込まれた、その結果として、人々の音楽ニーズがかつてのヒット曲や名曲を聴くことに終始し始めた…………
今も、いつまでもマイケル・ジャクソンが惜しまれている。「BILLIE JEAN」が素晴らしい曲なのはもちろんだけど、新しい曲も日々生み出されているのにだ。
もしも、音楽に限らず、小説でも映画でも、今まで生み出されたものすべてが、きれいさっぱり焼き払われたとしたら、かなりクリエイティブな状況になるだろう。けれど、それは望めないことである。第一、記憶には残っている。今度はその質と量の競い合いになるばかりだろう。
いろいろあるけど、昔の未来と今の未来は違う、ということかと思う。
この件に関して作品は、楽観的でも悲観的でもない。思わせぶりな示唆があるわけでもないし、何も予言しない。ただ、ひとつだけ言えるのは、ゾーニャ・クラウトの度を越した怒りっぽさが、はからずも「ぼく」の復讐に貢献してくれた、という、どうでもいいような、けれど本人にとっては重要な一件である。「ぼく」のかつての教師で憎悪の対象ミセス・フレーザー(今は民宿経営)を、ケチョンケチョンに攻撃してくれたのだから胸のすく話ではないか。
「ぼく」が求めるものを、というよりも、求めていた以上のものを、手にいれられることをわたしは願ってやまない。
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イギリス地図。マークは、モールバンヒルズ。

投稿者 sukima