熱海の捜査官 #7-#8(final)
前回、独自推理を発表した当ブログだけども、こうやって最終回を見てみると、当たらずとも遠からず、遠くもないけど近くもない、だろうか。さすがにわたしも「南熱海市の住民がみんな黄泉の国の住人」というのは望んでたワケじゃないので、まあまあ良かったとは思うものの、死んでいるのか生きているのか怪しい人物は複数いて、その筆頭が「空と海と虹の会」ことSSRAの平坂歩さんだったりする。
わたしもうさいっしょからこの男一発ポカリと殴りたいタイプだなと思っていて、もったい付けた話し方といい、「僕は、君の期待に答えられなかったのかな」「僕は、いつも大事なことを見逃すタイプだから」とかキモーーい事を言い放ち、「あんたの大事なことなんかどうでもいいわい」とひそかに思っていたのだけど、もちろん、これは役者さんが上手だからこういう役どころをつくれたわけでね、それにこういう男っているよねーー って感心していた。
で!!!!
この平坂さんが、な、な、なんと!!!! 言っていいのかな… 犯人だったわけですよ!!!!! ビクリーー
ええええ??? なんで??? なんであんたやっちゃったの?? 好奇心??
最初から順を追って説明すると、平坂歩は、本名は風宮巧といってかつて「天才的脳外科医」として知られていた人。
うんと以前、ある博士(この人がナント!!東雲のお父さん)の研究所で蘇生の研究を、最初は純粋に医学的な見地から行っていた。なるほどほど。確かに「蘇生」というのは「救急蘇生のABC」というのがあって、AはAirWay(気道確保)、Bはブリージング(人工呼吸)、Cは心臓マッサージ(ほんとうはD以降もあるが)。それに加え、最近は急な心臓発作を起こした人などを助けるためAEDっていうのがごく一般的に広まって、駅や役所に設置されている。ましてABCは医療従事者なら常識的知識であり可能なら手技としても熟練しているべきもの(とはいっても、救急病院でない限り蘇生の機会がそうしょっちゅうあるわけではないので、忘れがちになってその場で焦る)というくらいだから、死に掛けた者を生き返らせるのは、ごく普通に医療に求められていることのひとつなのだ。(他は、激痛の除去など)
そう考えると風宮のやっていたことは、大きく常識はずれではないのだ。
ところが風宮らの実験はどんどんエスカレートしていき、実験の過程で、死んでいる時間をどんどん長くしていった。死んでいる時間が長かったら、それは死んだ、ということだ。
救急蘇生が一刻を競うのは、酸素が脳にいかない時間が一定時間(上限6分)超えると、致命的な損傷を脳が負うからで、なんとか6分前に心肺蘇生させんとするためなのだ。
だから、風宮が考え付いたのは、6分を過ぎた脳の機能回復する手術なり何なり、ということだろう。
そしてここでドラマのポイントなのは、死ぬとは、どういうことか。死んだら何を体験するのか。
もう一個は、死んだ体験があるのとないのとで生じた違いである。死んだ体験のある少女たちが、風宮に選ばれ「殺された」のだから。
さらに風宮の日記には「東雲の話が本当なら、僕はもう死んでいることになる」なんてせりふも出てくるくらいだから、風宮こと平坂さんも死んでいるのかもしれない。
なんて考えるとなんだか暗い話に感じるかもしれない。
しかし、問題は、数字の「2」の方である。
東雲が、風宮の共犯者だったことで「2」の謎が解けたかのように見えるけども、それだけでは不完全だ。
「2」は占部さんが言ったとおり生命を生み出す数字ではあるのだが、生命が生み出されるためには単に2では駄目である。なぜなら1たす1の出会いでひとつの生命を生み出したら2になってしまう。そうしたら次は2たす2で4になってしまいその次ぎが4足す4で8になってしまいと、鼠算式にどんどん大きくなりそんな生命は存続し得ない。生命ができる限り長く生き続けるためには、1と1が出会う前にいったんは減らなければならない。その高度なメカニックを持つことが、生命にとって必須なのである。
あ、だから星崎剣三はいつもネズミ大将を持っていたのか!!
さてさて、誰が死んでいるのか、たとえば「もとこさん」は実は生存者でなく、かつては実在していたけれど殉死のようにして亡くなって今はいなくて、でもそれを信じたくない星崎は電話回線を通じてしゃべっている妄想にひたっている……… という解釈も可能だけども、わたしはそうは思わない。そこまでやっちゃうと「やりすぎ」っしょ? もとこさんが探してくれた風宮の顔写真まで実は星崎が自分でみつけていた… なんていうんじゃあちょっと…。
まあしかし、各自の解釈しだいなのが、本作のおもろいところで。
だからとって、敷島先生まで死人ってことはないと思う。
わたしがこの中で一番メンタルが近いのって敷島先生だなって思っていて、神宮寺さんが死んだあと星崎さんを呼び出して「神宮寺を殺した犯人をみつけてください!!!!」と叫んで、無意味に星崎さんに抱きつくあたりが、女のサガだねえという感じで受けるんだワ。あと、神宮寺さんの告別式でいきなし「いまー私の願いごとがーーかなうならば 翼が欲しい この背中に 鳥のように 白い翼 付けてください この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ 行きたいーーーー」と『翼をください』を歌いだしたりして(このままみんなで歌って踊りだしたらどうしようかと不安になったけど)、普段からの自由の空へ飛んで行きたいっていう気持ちがほとばしったのだよね。
そんな敷島先生はじめ女優陣がたとえようもなく美しいあたりが、ツインピークスとの共通項なんだけど、オードリー・ホーンに該当するのがレストランボリュームのウェイトレス伊藤奈々子で、雰囲気が出ているんですワ。きっと南熱海高校とかを出ているんだろうね。あと、レプス陶芸クラブの経営者洲崎道代が拾坂さんにヒソヒソ言ったことって、何なんだろう???? うーーーん気になる。それをいったら、東雲麻衣が占部さんの耳元に囁いて、占部さんが茶碗?取り落としたあのシーンも気になる。たぶんあれは「あたしはもう、死んでいるんです」とか、そういうのかなぁ? それを言ったら、星崎が最後の最後にバスの中で東雲の耳に囁いたセリフも気になる…
そんなこんなで、コネタとアイテムとガジェットとキャラとエピソードとイキなセリフとお洋服といたずらと素敵なインテリアが一杯だから、どこから語っていいか分からないくらいで、死んでいるとか生きているとか長々書いたのはそこらが手を付けやすかったからで、実際問題それはさほどな事じゃないんだ。
たとえば「朝からラーメン、頼むぜハイウェイ♪ イェイェイェイ」って… しかも二度見三度見され…
たとえば「前の前の前の前の髪型がよかった」って…
ていうか、前の髪型と前の前の髪型と前の前の前の髪型の区別つかないんですけど…
たとえば「ようござんす」って…
朱印頭さんのギャグ?って、説明しようがないというか… あるとき、一緒に見ているウチの子の顔を横目でどういう反応しているのか見ると、弛緩しきった顔で口角がちょっと上がっていたから、やっぱこれは笑っている!!と視認。なにせ、この円高の不景気のタバコ税が上がるせちがらい世の中だと、「そんなの何も面白くねーんだよ!」とか殺気だつ馬鹿もいそうだから、松尾スズキさんで弛緩できるのは平和な証拠じゃないかと… いやむろんわたしももう、体のどこともつかないツボを押されて鼻から鼻水吹いて笑っていたけども…というか鼻から小水は出ないけど…
そうそう、桂東さんのこととかも語りたいけどそれはまたの機会にして、思い出したけど、星崎、北島コンビが「お世話になりました」って去っていって、南熱海警察の三人がガラスのドアを閉める。そのときの拾坂、桂東、犬塚の三人のスにもどった顔っていうのが、え? 今までのハシャギは何だったの? 今までの親切、今までの楽しさは?? って思わせる、この不気味さが現世、これが、人。これが自分を含めた世界なんだって思わせて、このシーンはものスゴ嫌い!! もといスゴ好き。
(だから、南熱海市は黄泉の国(天国でも可)説は、わたしは却下した)
そうそう、東京の事件だけど、バス失踪事件の三少女がみつかったあとマスゴミが大挙してやってきたところを見ると、東京は滅んでないかも? うーーん、いや滅んで我が町○玉が首都になってたりして!!