マボロシの鳥 / 太田光
九つの短編集。
荊の姫:これは昔テレビブロスで読んだやつのロングバージョン? 食パンをかじりながら雑誌の最後として読んた時は「ふむふむ…よく分らない話だな、けど何か痛々しい話しだな」という程度だったものが、こうしてハードカバーの立派な装丁の書籍の第一話として出てくると重大な秘密文書のようにも思えてくるけれど、秘密の核心部に自分が至れたという感じはしない。荊に血を流す少女、じょうずに抱けない男、どの登場人物もみな著者自身のように見える。けど、そうも全員作者だとするとナルシシズムにもホドがあろうってもので、今もよく分らない。
タイムカプセル:これは惜しいーーーっ!!と思わず唸ってしまった一作で、そうとは明記していないけど沖縄と戦争をテーマにファンタジックな色づけをしたもので、「日本人」「アメリカ人」といった帰属を超えて普遍的な人間の姿を描こうとして、そして失敗した、という案配の作品。もう一歩か二歩か三歩でもっとよいものになった気がする。惜しい。
人類諸君!:小松左京とか筒井さんとかの昔の大御所SF作家が書いていたような作風。講談調というのだろうか、リズミカルに言葉(熟語が多い)をぽんぽんとつなげていくもので意味の密度が濃く、わたしはとても気に入った。他の短編はやたらと改行が多くインデントする意味がないほどページ全体が一文字下がってしまっていて、体裁もいいとは言いがたい中、これは好きだなと思った。もっともラノベを好む今の風潮では好まれないかもしれない。ちなみに『マボロシの鳥』と紛らわしい『かげろう』(KAGEROU?)もラノベなんだそうだ。
魔女:とてもストレートな痛々しい、ファンタジー風の見かけだけどありのまんま書いた作品。わたしも子どもの時アンデルセン童話が好きで(好きというか、その本しかなかったので読んでいた)繰り返し読んだもので、テイストはアンデルセンの残酷に似ている。がアンデルセンのセクシュアルで執拗な残酷とは違って、こちらは社会の残酷を描いている。ちょっとひねりがない気がするが、まあまあだと思う。
マボロシの鳥:これはもうまったく読めなかった。途中マボロシの鳥が天窓から飛んでいくまでは面白かったのだが、その先が長すぎてもう駄目。表題作にするくらいだから一番重要作なのだろうし、太田光の芸論のようなものがありそうなのに、残念。
冬の人形:これは普通の小説家が書いていそうな作品。基本的な題材をちゃんと書けたと思う。
奇跡の雪:これは911をテーマにしている風なのだけども、そしてこの著者が一番好むアプローチである、実際の事件(たとえば今だとムバラク大統領の失脚)に材をとって自らの想像力で脚色している内容。とはいっても、実際のところ中東の人の感性がどういうものか、あの911についてどう思っているのか、公式にしろ個人の感想にしろあまり聞いたことがない以上、日本人の勝手な憶測に耳を傾ける気にはなれない。反対にアメリカ人の感想ならば比較的耳に入りやすいし、それでなくてもワレワレはアメリカ仕込みの価値観の中にいる以上、アメリカに対してそういうアプローチをするのならまだ、受け入れやすいが…。そのような抵抗があって、ちょっと読めなかった一作。
地球発……:これは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とサン=テグジュペリの『星の王子様』という二大ファンタジーの中に身を置いたお話。ちょっと調べたら、「“なつく”ということは、“きずな”で結ばれるということさ」という訳は、訳し方によっては「“家畜化”するということは、“紐で縛る”ということさ」とも翻訳可能だという。しかしそれでは美しくないし希望もないし、即物的すぎる。なので「“なつく”ということは…」になるのは妥当とはいえ、原文には両方のニュアンスがあるという。“なつく”…だけではとらえきれない、深いニュアンスが。本作、老人たちの会話がいろいろあって最後に、何億もの鳥が飛んでいく。もっと先へ、もっと遠くへと。「ぼく」はそれをみつめる。その姿を想像したら泣けた。
ネズミ:順序としては人類諸君!のあと、四番目に入っている短編。やっぱ太田光は悪魔を書くのが巧い。「まっとうな世界、美しい世界、本来あるべき世界」をしきりに追いかけ続けてはいるけれど、本来はこっちをよく知る人なのだ。そしてファンタジーではない実際のこの世の残酷についても。悪魔が出てきたからといって善悪の話しではない。善でもない悪でもない、正しいとか間違いでもない。ネズミは、そんなのは鼻にもひっかけないウルトラ感じの悪い、けどどこまでも自由な人間だ。やったー! と爽快だった。
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ということで「初の小説集」は、☆☆☆星みっつ取れたのは「人類諸君!」と「ネズミ」のみ。あとはひたすら精進あるのみだ!!
参照サイト:あのときの王子くん
青空文庫の新訳