反原発デモ。高円寺にて
Sunday, April 10, 2011
Anti-nuclear demonstration at Kouenji, Suginami, Tokyo, JAPAN.
2011年4月10日日曜日
このデモのことを知ったのは、前々日くらいだったと思う。
7日の23時半頃に大きな余震が来て、飛び起きた。
少し後になってツイッターを見たらまたまた飛び起きた。宮城県沖が震源地であるその余震によって、宮城県の女川原発、さらに青森県の東通(ひがしどおり)原発と六ヶ所再処理所で電源が落ちて、非常用の電源に切り替わったという。この場合非常用のが機能したからいいが、福島第一のように機能しなかったら、同じになるところだった。もし、そうなったら? 背筋が凍り付くなんていう言い回しじゃとても追いつかない。
「デモ」というと、どうしても全共闘時代の人々がやっていたやつを想像し、見通し明るい気分になれないのだが、そんな事は言っていられない。何より胸がざわついてジッとしていられず、救いの神とばかりデモに行くことにした。
おりしもその前日の夜、NHKはこの一ヶ月を振り返るとして二部構成の特番を組んでいた。
二部目は、津波被害に合った地域の避難所生活にスポットを当てたもので、一部目は、原発関係だった。
一部目には識者がふたり出てきて、ひとりは元原子力安全委員会の長だった人。もう一人は福島の医師だった。
どちらの話も、結局何も言っていない迂回と遠回りと婉曲だけの、しかし全面に優しさと気遣いだけは感じられる、それでいて結局おそろしい事を言っている内容だった。
だがちょっと見れば分るが、NHKが本当に映そうとしたのはそういうものではない。
福島第一から32キロの距離にある相馬郡飯舘村の、現在の状況、とりわけまだ、そこに残っている、何組かの、乳児幼児のいる家族だ。どうしてその人たちを避難させることができないのか。NHKはIAEAが日本政府に出した避難勧告にも触れていなかった。ただ、避難しようかどうか悩んで迷って泣いている母の姿を映し、枝野官房長官のテレビを見ながら「うーーんどうしよう」と悩む若い父の姿を映す。さらに、どうしてもここを動きたくないと言い張る無知もうまいなおじいちゃんの姿を映す。無知もうまいなんて言っちゃ悪いけれど、そのおじいちゃんの生きてきた知識(農業など)の範囲を超えたことが起きているのだ。どうしていつまでも避難できないのか。(※後日談あり)
識者の先生は「ばんぱつせい性障害は必ずなおる」と、まだばんぱつせい性障害が出ていないうちから言っていた。出るとわかっていて何もしない・できないと宣言したのと同じだった。