コクリコ坂から
「民主主義」という言葉がある。わたしもよく使うが、使っていてこんなに不安になる言葉も珍しい。というか、他の不安になる言葉なら使わずに避けて通ればすむところ、民主主義に関しては、自分の言いたいことや感じていることを表現するために、使わないでいられないのだ。
何が不安にさせるのかというと、まず自分の語法(民主主義観)が合っているのかどうか不安。
次に、民主主義について他の人がどう思っているのか、はなはだしく不確か。
次に、民主主義というものは、よその国の民族衣装を着るみたいに日本人になじまないのじゃないかという、不安。
内実このレベルで民主主義民主主義とブログに書いている(検索したら7つの記事で使っていた)のだから、我ながらびっくりだが、よくわからないながらも重要な気のする「民主主義」だからこそ、テーマになってしまう。(直近では、前回の「小沢さん」で使っている)
しかし、民主主義が光に照らされる輝く言葉であるとは決まっていない。
特に、民主主義が表す最大の要素は「多数決」である。
多数決であるから、そこには少数者が必ずいる。
少数者は多数者にくみしなかった者であり、多数派が形成する世の中からはみ出した者だ。
それゆえにこそ、才能ある者(基本的に少数者)である作家や画家や芸術家などに、どちらかというと批判(や揶揄)されてきた。いや、場合によっては激しく憎まれていたかもしれない。
その影響なのか、民主主義に、わたしは子どもの頃からあまり良いイメージは持っていなかった。
その一方、日本における民主主義、すなわち「多数派を形成する方法」は、「まぁまぁみんな仲良くね」という和を尊んでのものだっり、金や贈答品の力だったり、場の空気–同調圧力–だったりしがちだった。
そうやってきたことの弊害が、今、あちらこちらでマグマのように吹き出している。
その典型中の典型が原発事故ではないだろうか?
原発事故の直接の要因である原発ムラと言われるらしい組織的な腐敗と、安全と信じ込まされて、いつの間にかそれが完全に多数派=真実と化してしまったワレワレの社会。
原発事故があぶりだしたものは、学者の世界にしろ官僚の世界にしろ報道の世界にしろ政治の世界にしろ、政治家を選ぶワレワレにしろ、どれも「民主」的に行われていなかったんじゃないか? その事が原因なんじゃないか? という、いやでもたどり着いてしまう疑惑だ。
どうして、こんな方向へ来てしまったのか?
それに、どんなだったら良かったのか?
5月に東京新聞で「原発事故を予言していた詩人」が紹介されていた。
若松丈太郎さんという詩人だ。若松さんは、若い頃「チェルノブイリ原発事故を見学する福島県民調査団」に参加して、原子炉を見学した。コンクリートで覆った「石棺」の側まで行った時、放射線量計の針が振り切れたことにショックを受けた。自分の町にも原発(福島第一)があるため、重ね合わせたためだ。若松さんは帰国して、「神隠しされた街」という詩を書いた。
若松さんは、実際にチェルノブイリを見てきて、線量計が振り切れて、という経験をした。
さらには、それを詩に書いた。
『神隠しされた街』という。( 参照 )
経験と詩作という得がたいものをもってしても、その声はほとんど誰の耳にも届いていなかった。
どうして、詩人の言うことに、人々は耳を貸さなかったのだろうか?
何かがその声をかき消してしまった。
それに、何かを詩よりも価値を上位に置いてしまった。
それは何なんだーー!!?
☆ ☆ ☆
そんなで『コクリコ坂から』だけど
作中、風間俊が演説をかますところがある。曰く
「古くなったから壊すというなら、君たちの頭こそ打ち砕け!
古いものを壊すことは 過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?
人が生きて死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!?
新しいものばかりに飛びついて 歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!
少数者の意見を聞こうとしない君たちに 民主主義を語る資格はない!!」
なかなかにウザイやつだ、風間くんは。
あーうるさ。
と、思ってしまった自分もいたが、ウザイと思うなら自分も演説をかませばいいのだ。
もしも、演説ができないなら、何か他の方法で。
この時の風間俊だって、壇上からはじき飛ばされて、一般席の椅子に昇っての演説だ。
かように、自分の主張のために言いたいことを言う風間俊。
さらには、ひょっとして実のいも・・・(ネタバレにつき自粛)
かもしれないのに、はっきりとコクる海。
誰もかれもが真っ直ぐで眩しい。
その真っ直ぐさを支えるのは、ていねいに細やかに誠実に作画された背景だ。
海の見える高台の庭。緑豊かな坂のある町並み。「カルチェラタン」のいかにも男の魔窟っぽい混沌ぶり。対照的に、当たり前の生活が愛しくてたまらなくなるピカピカの台所。(帰ったら台所掃除しなきゃとマジに思った!!)
『コクリコ坂から』の舞台は、1963年の横浜だ。
1963年にはあった「民主主義」が、どうしてなくなってしまったのか。
今わたしにそれを分析する力はないが、1963年に曲がる道を間違えたのだとしたら、もう一度あの場所に戻って曲がり直したい。そして開かれるのは、「少数者の意見」に耳を傾ける社会だ。
「偉い」とされる人の言うことを一方的に聞かされるのじゃない、バカにされることを怖れて何も言えなくなるのじゃない世界だ。
第一、ほとんどの人が、自分も少数者であることに気がつく社会だ。
なぜなら、たくさん人と話し合うから、同じ人間はいないと気がつく。
さらにおまけで、人と話し合うことが楽しくて仕方なくなる。
実際問題、それくらいいくのが民主主義ってやつだと思う。苦痛では続かない。
話し合いを苦痛にさせるやつって、やだなと思う。
☆ ☆ ☆
主題歌
手嶌葵 さよならの夏~コクリコ坂から~
手嶌葵さんの他に、倍賞千恵子さんとか森山良子さんとかめっちゃ歌のうまい人が歌っているのですね・・・・・