なぜ君は絶望と闘えたのか–本村洋の3300日– / 門田隆将

あの事件の加害者側に取材した本『福田君を殺して何になる —光市母子殺害事件の陥穽— 』(増田美智子著)は読んでいたものの、被害者サイドの本は読んでいなかったので、今回の判決を機に読んで、やっと自分の中でバランスが取れた気がしてホッとしている。
もっと激情的に死刑を求めた本なのかと思ったら、死刑に向けて説得するような本ではなかった。いや、本村氏はじめ家族は死刑を求めているのは求めているのであるが、本来の犯罪がもたらした苦しみ以外に、いやでも死刑を求めざる得ないような事態が次々に、司法や、裁判官の態度や、弁護団のやり口によって、本村氏にもたらされてしまう。
そういった意味で、必ずしも絶対に死刑が必要な刑だと思う事はできなかった、と言うと変だが、もっと人間の行動学?なり心理学、犯罪学が発達して、もっと司法が整備され、何よりも被害者の立場、思い、権利を守ることに全力を上げる制度、というか、人的パワーが注がれるなら、死刑はなくても大丈夫なのではないかと思った。
もっとも当方、テレビ報道をいっさい見ていないので、本村氏がテレビカメラの前で激烈に怒りを表した回も、冷静を取り戻した回も、久米宏のニュースステーションに出た回も、先日死刑判決が出た時のも、見ていない。もしも見ていたら、テレビの手法に乗せられて、わたしも激烈な怒りのもと、「あんな奴は死刑以外にあり得ない、死刑死刑死刑」と思っていたかもしれない。そしてまたマスメディアがそのように誘導していったのだとしたら(といっても、多分に視聴者の欲求を満たすためかもしれないので、どっちがどうとはいえない)、そのこと自体は、本村氏にとって味方になったであろうと思われるので、マスコミの力を一概に非難する気にはなれないのであるが、それでも、その手法(マスメディアの一元化した情報に、みなでいっせいにのみこまれることで得られる一体感や憎悪の増幅・発散—-トータルにいって、情緒・感情に訴えやすい一面以外は排除する姿勢)は、少しずつでも変えていかないと、「原発安全神話」に騙された時のようになってしまうと、懸念する。
犯罪者を擁護する意図ではなく、さまざまな言及の仕方はあるはずなので、その言及と思考の「工夫」が、「死刑になるような犯罪が起きないようにするにはどうしたらいいのか」(本村氏の希望)を考えていく道に通じるような気がする。
その一方、いくつか疑問が残る。
1:無期懲役の判決を受けると未成年の場合、イコール7年の刑期(と決まっている?)とは、刑を言い渡す意味があるのか? 
2:いくら死刑制度反対の弁護士だからと言って、死刑にならないためなら、何をしてもいいのか?
3:判例主義というが、殺した人数だけで判例になるのか。個々の内実は違うのに、数字合わせにこだわりすぎではないか?
4:もっと本気で被害者をサポートする仕組みはないのか。メンタル面でも法的にも。今後だって、犯罪は起きるのだ。
本書では第13章「現れた新しい敵」以降登場する安田弁護士、足立弁護士だが、彼らがいったい何をやろうとしたのか、今もってよく分からない。本書でも批判の対象であるし、『福田君を…』でもそうだ。というか、著者増田氏はじめ出版元のインシデンツと、何かをめぐって争っている模様だ。
よく分からないので、なんとも言えない。しかし、本書を読むと、随分と被害者を苦しめたのは確かだ。
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この本では出てこないんだろうなぁと思っていた「福田君」がエピローグ*と、「文庫版あとがき*」に出てきた。『福田君を…』で読んだ「福田君」と随分印象が違うのは、すでにして27才、29才と年をくったからか、でなければ死刑判決を受けて人格上の変化があったからだろうか。死刑支持側で描かれたこちらの方が、そうではない『福田君を殺して何になる』よりも、「福田君を殺して何になる」という気持ちにさせた。
たとえば「福田君」は弥生さん、夕夏ちゃんの冥福を祈る事があるのだが、その名前を自分が呼んでいいのかどうかと悩んでいた。その旨、本村氏に訊いてほしいと著者に依頼する。
尋ねられた本村氏も立派なのは「(「福田君」の希望を叶え面会に行くことはできないが)F君が弥生の誕生日にお祈りをしてくれていることは、素直に感謝しています。二人の名前を口にすることは大丈夫です。」
と、「福田君」にとっては望外な慈悲というか寛容を見せてくれている。
ちょっと興味をひくのは「福田君」が「(前略)その意味で、法定での私は、本当の僕ではなかったと思う。メディアの人たちの前で、僕は頭を下げたくないんです。僕は彼らのことが嫌いです。だから、本村さんにも法定で本当の僕を見てもらうことができませんでした」と、ある意味共感をさそうようなことも言っている。(文庫版あとがきp.330)
戸惑うのは、最近の新聞記事13年目の判決:光市母子殺害事件 元少年、揺れる胸中 「厳刑望む」「死刑には反対」(毎日新聞 2012年2月19日 東京朝刊)の中の「福田君」と比べ、随分とちゃんとした人格に見えることだ。門田氏は読者に通じやすいように、言った内容を整理し脚色しているのだろうか?
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当方裁判制度に詳しくないのだが、もう裁判はないのだろう。
あとは死刑の執行を待つだけ、ということだろうか…

*本書の単行本は2008年6月出版なのでエピローグは2008年に、文庫版あとがきは2010年7月に書かれている