【本の感想】宇宙消失 / グレッグ・イーガン
2034年、地球の夜空から星が消えた。冥王星軌道の倍の大きさをもつ、完璧な暗黒の球体が、一瞬にして太陽系を包み込んだのだ。世界各地をパニックが襲った。球体は<バブル>と呼ばれ、その正体について様々な憶測が乱れ飛んだが、ひとつとして確実なものはない。やがて人々は日常生活をとりもどし、宇宙を失ったまま33年が過ぎた—-。ある日、元警察官のニックは、匿名の依頼人からの仕事で、警戒厳重な病院から誘拐された若い女性の捜索に乗りだした。だがそれが、人類を震撼させる量子論的真実に結びつこうとは……!
この本は凄かった。自分の頭蓋内にPluggedされて直接文章が入ってくる感じ、つうか?
「これは凄い」と思って検索すると、たいがいすでにネットで凄い凄いと言われているものだけど、この本(作者)も、案の定超弩級に凄いってことで定着していた。
そも『宇宙消失』は新作というわけではなく、原文の出版年は1992年で日本での出版年は1999年とすでにして一昔二昔前であり、それを周回遅れで読んでいる自分だけど、古さなどはまったく感じない。量子力学の知識をベースにした「理系」の小説なので、完全理解とは到底いかないけれど、きわめて直感的に入ってくる内容なので、量子力学だの蓋然性だのいう言葉に怖じけづくことはそんなにない。さらに、タイトルの『宇宙消失』が原題では『Quarantine』=「隔離」だと知ったら、あーーそうかとピンと来くるものがあった。つまり、宇宙を消失した理由は隔離されたからなのだ。
読書行為としていうと、全体の2/3から3/4あたりまでは面白かったが、その後が結構くどくて「波動関数の収縮」が起きなかったら(つまり、「現実化」しなかったら)どうなるこうなると、そうならなかった他の自分についての記述が長くてだれた。が、よく考えたら、「拡散」したまま何も決定し得ずにそのまま死んでしまうというのは、比喩としてではなく、実際の多くの人生にみられる現象かもしれず、それを思うと、いかに「収縮」させんとする意志が大事かという話しにつなげようと思えばつながる。
言ってみれば自己啓発本的なロジックが編み出せそうな「量子力学」の文学化なのである。が、この本的にはそんなのは無意味だ。なぜってここでは、「脳神経再結線」によって、必要な脳神経の状態を自在に起動する事ができる通称「モッド」が、とてつもなく便利に使われているからだ。そこまで進化したナノテク技術の前では自己啓発の努力に用はない。好きな時にP1とかP2とかP3とか(確かP5まであった)を呼び出せば、あらゆる精神状態でいられる。恐怖を克服することも、退屈を感じずに警備仕事を続けることも、妻が死んだからと言って悲嘆にくれないでいることも、簡単だ。
思えば人の精神はヤワだ。人前にでれば緊張するし、うまく話せないし、自分の話しが無価値なように思えるし、人の考えていることが分からず不安になるし。小さな事で傷つくし、怖じ気づくし、いつまでも忘れられないし。人が自分よりも好かれていたり愛されていると(感じると)、嫉妬にかられるし落ち込むしひねくれるし。
それ以上に手を焼くのは、自分の様態がひとつに決まっておらず、変わる度に世界が変わり、常識が変わり、他人が変わることだろうか。実は本書を読むことはある逃避行動の一環であった。今年度に町内会の班長になったうちは、社会福祉協議会のお金を集金に行かねばならなくなっていた。(社会福祉協議会が何であるかなど検索のこと。わたしも知らなくてそうした) しかしその数日前から、班の二三人がゴミ出しルールがなっていないと怒りのメッセージを発信していた。それはそれは恐ろしいメッセージだった。
わたしはその人に会いたくなくて会いたくなくて、震えていた。
といったら大げさに感じるだろう。
事実、かなり大げさだ。
と同時に、ちっとも大げさではないのだ。それどころか、まだ話しをしたこともない、顔もよく分かっていないその人が、わたしの頭の中ではイジメの帝王のように感じられ、緊張のあまり不眠症になりかけた。
わたしはその人に会った時の状況をあらゆる角度からシミュレーションしてみた。最悪のケース。最良のケース。普通のケース。わたしは微笑んでいるべきなのか。じゃっかんおどけているべきなのか、低姿勢なのか、それとも毅然と誇り高くいるべきなのか。それとも、これ以上はないほどに、わたしはわたし「自身」でいるべきなのか。
そしてその際に、わたしは何を「望んで」いるべきなのか?
その時のわたしが、形のないまま無数に拡散している(まだ逃避の真っ最中であるから)。わたしがわたし自身の収縮すべき形を自在に操れれば良いが、そのためのモッドがない。仕方がないので自前でそれに近いイメージ作りをするしかない。が、当然向こうも同じようにしているし、向こうもまた「観測者」であるため、わたしはそれに引っ張られる。
いつもの事だけど自分の「平凡な日常」に密着した感想になった。本編の方はれっきとしたSFなので、もっと壮大な仕掛けというか、戦慄の展開というか、ひっちゃかめっちゃかなラストに向かう。それはそれはワケわからんものだ。いわゆる「愛」いわゆる「絆」いわゆる「真実」と無縁の。いわばひとつの体験としての読書といえるかもしれない。それに、ある種の励ましに近い感覚を受け取れなくもない。すると因果なことにその励ましこそが、わたしにとっての”真の≪アンサンブル≫”なんじゃないかという考えがわく。
わたしの、”真の≪アンサンブル≫”
今日の収縮とも拡散ともつかないもろもろ