【れびゅう】ディア・ドクター
JCOMが今月西川美和特集をやっていて、みたかった『ディアドクター』、チャンネルnecoにてやっとみれた。
(同監督の新作映画が公開されるからのようだ。他には、『ゆれる』や『蛇イチゴ』)
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けど、先にこういうの見ると、先入観に支配されるので、み終わってから見ましょう。
こういうのは、あくまでも宣伝。売れないとやっぱ困るから、宣伝。
まずもって、映像の美しさに郷愁とともに感激した。遠くに山なみをのぞむ田畑、緑豊かな木々や草むら。夏の日射しのなか川遊びに興じる子ども達、窓からの風にそよぐ井川遙の柔らかい髪、日の暮れかけた室内でひとり座す鶴瓶の背中……。いやいや細かいことを言っているとキリがないので、風景だけに限っても、ああこんなところで暮らしたい、こんなところで一生を終えたいと思わせつつ、そういえばこんな場所には行ったことがあるし、それどころか住んでいた記憶すらある。そんな、ことさら珍しいわけでもない場所。
この場所、映画中では「神和田村」といい、ロケ地は茨城県常陸太田市や日立市をはじめとした茨城県各地のようで、そういう事なら懐かしいのも当たり前(自分が千葉東葛地区~茨城圏内の出であるから)ではあるのだけど、わたしが知っている茨城よりももっと美しく懐かしい。それでいて映画はダラダラと風景描写をするわけではなく、必然性がないなら脱がない女優のごとく、理由もなく描写されるわけではないタイトさだ。
これら風景の美しさは同時に、地方の高齢化、無医村ぶり、何かと不便、若い者が都会に出て行く、などの頂けない側面とセットになっている事は言うまでもないのだが、そのモンダイは必ずしも前面には出てこず、一番描かれていたのは何かと言えばゆうなれば「人間」であろう。
ことに瑛太が鶴瓶と会話するシーン。瑛太が鶴瓶に春からまたここへ来ると宣言するシーンの、ふたりのセリフの応酬が出だしで予測したよりもずっと粘り強く長く引き延ばされていたことが一番嬉しく感じた。ダメ映画なら、それにつまらないテレビドラマならあっさりと沈黙で誤魔化されたか、曖昧な顔のアップで幕引きされたところだ。今まで、どれくらいの数、それで落胆させられたことか? いったい本当は何を思っているんだという、肝心の謎がいっさい他人に向かって明かされないのなら、もう本当に、つまらなさすぎだろう?
鶴瓶も、最後まで秘密を明かさなかったわけではなかったのだ。でもって、このシーンはまた最後に生きてくる。松重豊演じる名刑事(?)波多野刑事と瑛太との会話でだ。波多野刑事も別段悪いやつではない。むしろ良心的で、洞察力もあり、そこそこ腐っていない人間性の持ち主だ。しかし、そんな波多野刑事の半ば官製、半ば肉声としての問いかけに対して生まれたのは、沈黙でしかなかった。わたしも観ながら波多野刑事に説明しようと試みた。鶴瓶演じる伊野がどういう人間だったのか、どれほど医師として人々に貢献したか慕われ好かれたか、そして自分もリスペクトし影響を受けたか。しかしそこを言えば言うほど、無資格医師を信じ込んだ馬鹿者ということにされそうだ。説明のための言葉が出てこない、身もだえるような感覚。この感覚はナンなんだ? お上と法による人間性への抑圧、と言えば足りるだろうか?
波多野との会話が生んだものが固い、閉ざされた沈黙だったことと、鶴瓶との会話が生んだものの豊かさとの対比がなんとも言えず見事で、そこがヒト、というかヒトとヒトの関係というかを語っているようだ。
以上が「れびゅう」としてわたしが一番書き記しておきたいビューポイントだ。
が他にもおおおお!!と思うところは多くてとても深い内容になっている。たとえば難しい救急救命をやりとげた後に大手病院の医師が鶴瓶を名医と太鼓判を押してしまう(実は出来るナースの余さんが教えたとおりにやっただけ)ものだから、瑛太もすっかり信じ込んで鶴瓶に心酔する事になってしまう。「そこで太鼓判押すなーー!!」と十八代目中村勘三郎に向かって内心叫んでいた自分だ。
それに最後のシーン。
最後のシーンで見せる八千草薫の表情。表情は最初は歪んでいる。それはそうだ、こんなところで「犯罪者」に会ってしまったのだから。それに医師でもないのに自分の身体を触った男なのだから。それに点滴したり胃カメラしたり…。でも、鶴瓶、否、伊野との間にあったものはそれだけではないと、思い浮かぶ。
それだけではないと思い浮かぶまでの数秒間。
この時間を、八千草薫さんは映画中に立ち起こし、一緒に経験させてくれた。
ほんと、大女優でないと出来ない名演じゃないかと思う。
(それだけではない何かが何であるかは、みる人によって色々違うかもしれない。見たところ、男女のセクシャリティに結びつけて受け止める人もいるようだ。わたしには人の命を預かるとは何か、医師免許って何なんだ、現代の医師と患者で分断された医療でいいのか? みたいなセンで思った。が、こういうのは瑛太-鶴瓶の会話と違って、言語で明瞭化しないで観る者にゆだねるのが良い気がするので、このラストは言語ではないがゆえの充実がある。)(と、いろいろ言う無粋)
さてさてそんなで、せっかくだから他のキャストについてもコメントしてみよう。
笑福亭鶴瓶(伊野)=こういう人が村にいてくれると、医師ではなくても楽しいなあと思う。
瑛太 (相馬)=穿いているのが短いズボンなのが妙にリアリティ。ほんとに「いるよなあ、こういう若者」という感じが出ている。
余貴美子(大竹)=ホントにいるいる、こういうナース。めちゃくちゃ仕事が出来て、ものすごくサッパリコンとした性格で、そのくせヘビーな過去を持っていたりして。もう、存在自体が凄い人。
井川遙 =ホントにいるいる、こういうドクターって思う。上質な女性っていうのか、とにかくキレイで高貴。そればかりではなく、親の病と向き合う娘の心情を上手に表現していた。
松重豊 =重々しいんだかふざけているんだか分からない、人を煙に巻く人。次に何を言い出すんだろと、予測のつかない俳優さん。
岩松了 =いるだけでなごむ。無条件になごむ。
笹野高史=この方、村長役なんだけど味わいがサイコー。とくに最後のセリフが冴えてて受けた。
十八代目中村勘三郎=こういう方が唐突に出てくると不思議なリズム感が映画に生まれてナイス!!
香川照之=いきなり倒れたシーンはすごかった。「愛してるわけないですよね、ぼくなんかを」つう自虐セリフに説得力。妄想がらみの老女の話に合わせるシーンとか、ホントにこういうシーンって現実にあるものです。
八千草薫=ほんとにステキ。無理矢理な若作りで現実離れする女優さんとはひと味もふた味も違います。