若者よ、投票所で会おう☆
(↑あきらめちゃダメの絵。)
16日に選挙あるけど、若い人が投票に行かないかもしれない、ともっぱらの噂だ。
理由は、「政治家はいくらキレイな公約を言っていても、結局守らないから」だという。つまり絶望感、もしくは諦念。
参照↓
☆堤未果 x 森川友義 「有権者は政治にどう関わるべきか?」2012.12.12 – YouTube
まぁそうだ。
けど、公約でキレイな事のひとつも言わなかったら、それは余計に何もしない政党だ。
若者が選挙に行かないかもしれない理由は、他にも思いつく。
人はこの世に生まれ、いろいろな教育を受け、20才になると教育の結果や本人の意志とは無関係に選挙権を与えられる。現行の社会制度でそう決まっているからだ。
けれど、人の成長の度合いはさまざまだ。この世に生まれた事も自分の意志ではないのだが、20才になって選挙権をもらうのも自分の意志ではない。「与えられた」権利の意味が解っていない。
現在一番政治に関心があると言われる世代の40~50代だって、最初から政治に関心があった人ばかりでは無いだろう。彼、彼女らの大半は、最初は興味がなかった。が、日々の生活体験、職業体験を重ねるにつれ(それは同時に税金を払い続けた人生でもある)、もろもろの疑問や怒りがわいてくるようになり、政治の意味に気付いて、投票行動に結びつけるようになっていく。
それはそれで良い。が、そうなるまでに短くても数年から10年くらいかかることになり、それでは有権者としていかにももったいない。最初から、選挙や政治について基本的な知識と意識を持っていた方が、望ましくはないだろうか?
ところが現在の学校教育にそのような有意義な時間が組まれているとは考えにくい。という以前に、選挙の意味を教えることに消極的な気がする。
どうして選挙があるのか?
違う考えの人間がいるからだ。
みな一様な価値観、一様な考えならば選挙をする必要は無い。
どうして違うのか。
人と人はどうして違うのか、同じモノを見たり聞いてもどうして違う考え方や感じ方をするのか。
違うことは良いことなのか、悪いことなのか。
明確な根拠を挙げることは今わたしには出来ないが、勘でいうと、現段階の学校教育では人と人が違うことがさほど肯定的に捉えられていないのではないか?
そうなると、選挙や政治について肯定的に教えることもできないのではないか。
若者は、選挙権を得た今になっても、まだその影響下にあるのではないか…
そんなこんなで、やはり若者には投票してほしいとわたしは切実に思った。ちなみに上記YouTubeには一票を投じる相手の選び方のコツなども紹介されていて、若者ではないわたしも感心した。
この下、投票行ってくれーー!!というsukimaの熱い思いがほとばしった画像群。
題して「投票所へのいざない☆レッツ・ボート」だ。
↑これは上記YouTubeで言っていた。「自分は政治のことわからないから(だから誰に投票していいのかわからない)」と考えずに、今自分がもっている知識で判断してOK。意外とわかっているものだからとのこと。
…絶句するね、無礼なやつだなーー
これ、ほんとに選挙違反らしくて、この時期どこそこへ投票してねと呼びかけてはいけないらしい。
選挙権なさげな服着てる(^o^)
↑要はこれ。ユーアーパワー!!