【れびゅう】髑髏城の七人 / ゲキ×シネ

ゲキ×シネ という形式の映画を見てきた。



髑髏城の七人 公式サイト
【豆知識】舞台演劇を数台のカメラで撮影して映画化、舞台に行けない人も見れるようにしたのがゲキ×シネ。
ただし、《劇団☆新感線》の人気舞台のみ。
2004年の初上映以来、ファンが急増しているとの由。☆参照:ゲキ×シネとは
「ホントは舞台なんだけどーそれを映画にしたやつでー」みたいな調子で同僚のCが誘ってくれた。
初耳なのでそんな事もあるのかと首を傾げていると「出ているのはー早乙女…なんだっっけ、早乙女-」
「早乙女愛?」
「違うよー 梅沢富美男のヤング版みたいな人で-」
みたいな説明でさっぱりわからなかったが気晴らしに見に行った。したらこれがどえらく面白い映画だった。特にここ一、二ヶ月ほど歴史を囓ってきたわたしには、たまらくなく魅力的に映った。ああ、戦国時代っていいわー何この自由な空気感、サイコー!! (実際に戦国時代に生きた人にとっては、いつ殺されるかわからないストレスフルな時代だったかもしれないンだが)と、はまった。
さっき、どえらく面白いと書いたが、ことによれば関西人にとっては面白くないかもしれない。
なんでかというと、思いっきり関東が舞台だからだ。
実際わたし自身、見ていて「関東ってつくづくいいなあ」と思ってしまったくらいだから、あんま関西人は見ない方がいいかもーだが、関西人は心が広いので大丈夫だろう。
前置きがダラダラしたのでこの後は要領よくスパスパ行くことにする。
時は戦国時代、今まさに関東を征服に豊臣20万の軍勢が押し寄せんとしているところ。
物語の主要人物は三人。織田信長の若き家臣だった三人で、捨之介、らんべえ、天魔王だ。
三人は、殿・信長の天下統一の夢と野望をともに分かち合う仲だったが、殿が明智に暗殺されて以来別れ別れになっていた。それでも三人は三人とも、殿亡き後も殿の幻影に囚われながら生きている。例えばらんべえは、もとは信長の小姓(というのは当初は明かされていない)であるが今は関東随一の色里「無界の里」をしきっている。天魔王は、関東髑髏党なる城を築き、関東制覇から天下統一を血生臭く目指す、という意味では一見信長の野望をそのまま引き継いでいた。
(注:公式サイトではなく自分の記憶で概要を書いているのでアレンジありかも。以下同じ)
信長にとっての「天下統一」といえば朝廷(天)を倒してのそれであるのは、常識だろう。
wikipediaで「本能寺の変」を見ると、煮え切らないことばかり書いてあるが、消極的にではあるが一応その説も載っている。
本作をあえて図式化して言うなら、天魔王は信長の夢の悪夢的実現形であり、どこまでも禍々しく破滅的に美しい。
一方らんべえは天下取りや野望、もしくは社会的に頑張ろう(「無界の里」の運営とか)と思ってはいたが、結局はその業のままひたすら信長への愛に殉じ、というとキレイだが、耽溺するようにDEEPな世界に堕ちていく萌え萌えーーな美形。もう一人捨之介は信長の夢を否定も肯定もしない。彼の決めセリフは「浮世の義理も、昔の縁(えにし)も、三途の川に捨之介だ!」というもので、それをすね毛を剃ったきれいな両足をむき出しにしてふんどしが見えちゃうよーというきわどいポーズで歌舞伎っぽく決める。捨之介は揺れ迷いながらも、ひょうきん、機転、優れた武術をもって—それゆえ愛と友情に恵まれながら—飄々としたスタイルで生き延びていく…。芝居の最後の〆め方が良くて、自然で無理がなく、今までの流れをくみつつ捨之介らしさを生かした終わり方になっていてこの上なく気持ちのいい後味。彼がこののち捨之介であることを捨てるときに、どうか変な捨て方をしませんように、と思う。
そんなこんなで解りやすく図式化してしまったが、信長をいいとも悪いとも解釈しているような単純な芝居ではないので、自分的にはやや物足りなかったが、単純だとつまらないので良かったと思う。
見所はたくさんあるが、一番に挙げないといけないのはどう考えても、熱い殺陣だ。
どんだけ練習したんだと思わす、もんのすごい殺陣ワザの連続。これは男優ばかりではなく、無界の里の一番人気の極楽太夫もそう。映画やドラマなら編集できるだろうけど、舞台であれをやるってすごいよね。
色里ということもあり女性もたくさん出てくる。中でも沙霧は、少女のような少年のようなひたむきさで、ひたすら一生懸命だ。お色気部門を小池栄子がやっているので(本当にキレイで色っぽい!!)、沙霧は中性的かつ実は頭脳労働者だったあたりがびっくりだ。(もう少し女寄りの中性でも良かった気はしたが…)
Movie walkerのレビュウ欄を見ると、本来この劇団はもっと「笑い」を盛り込んでいるらしく、それに比して本作は真面目で暗くて固い、みたいな評をしている人がいた。が、わたしは十分に笑えたし、面白かった。