銀色夏生
2003年9月16日
本箱から引っ張り出した銀色夏生、『これもすべて同じ一日』のあとづけを何となく見ていたら、初版が昭和六十一年十二月なのに気づいて、びっくりした。
昭和六十一年十二月といえば、わたしはあと数ヵ月後に達也を生む頃で、この人がこういうことを書いていた時期と、わたしにとってのあの時期がほとんど同じなんて、まさに「これもすべて同じ一日」?という驚きだ。
もっともそんなこといったら、ネット上にアップされた全部の今日の表現なんて、「これもすべて同じ一日」というか、「これもすべて同じ人類??」なのだろうけど。
『これもすべて同じ一日』の中で特に好きなのは、「バラになって逃げよう」という書き出しの一遍で、まったく意味不明ながら、「バラになって逃げるっていいよね…」と、あり得ないシチュエーションを想像できる。さらに、さすがにだてに有名詩人ではないよなぁ…と感心したのは、「花火というものを大切になさいね」と、母親が幼子に導きを与えるフォトミニポエムで、ページ見開きにわたって、三十種類ほどの打ち上げ花火が、しだれ柳風、牡丹風、流星風と、モノクロームの映像でチョコのトリュフのように並んでいるのである。「花火というものを大切になさいね」という、ちょっとオトボケな教えの味が、モノクロームだからこそシミジミと出ていて、これがカラー映像だったら、世俗の欲がにじんだものになっていたであろう。