日常が崩壊した瞬間。我が家バージョン+
先週? だったか先々週だったか、それまでずっと長い時期ふさいでいた息子が、自分のオヤジのことをぶん殴ってしまった。そういう挙に出る理由というのも怒声まじりに言いつのりながら。
ところが困ったことに、言われた当人であるオヤジの方は、何を言われているのか分らないらしく、翌日になって今度はわたしと言い争いになった。ちょうどその日はどちらも休みの日だった。向こうは、色々なことを言うのである。何しろ口だけは達者な人であるから、たくさん言う。息子が手を上げたのも、今まで口で言ってきたけど、何ひとつ通じなくて不毛だったからだろう。口でいくら言っても、必ず負ける。いや、勝ち負けの問題ではもちろんない。通じたかどうか。伝わったどうか。口で言うとはそういうことだ。けど、相手によっては、勝ち負けの次元になってしまう。そしてオヤジはまさにその相手なのだ。
どちらとも付き合いの長いわたしは、そういうことがある程度見えている。そのことが、わたしだけが無傷なような、悟ったような、すました立場に思え気に入らないというのもあって、あちらはまたあれこれわたしに言うのである。その間、テレビが消音モードでずっとついていて、見ると電車がひっくり返っている。随分長い電車だなと思った。電車はひっくり返ると長く見えるのか、とも思った。けど、それはまっとうに関心を向けての感想ではない。そばでずっと何か言っている人物と相克しながら、その相手の背後にテレビがあるものだから視界に入ってしまっての感想だ。画面の左上には「死者数」が出ていた。「19名」と出ていた。しばらくしてまた見ると、「23名」とかに増えていた。この数字は、ふたりで怒鳴ったりわめいたり言いつのったりナンやらかんやらしている間に、少しずつ増えていった。
それでも、その時は列車事故にまったく関心はわかず、言い合いはずっと続いた。言い合いになると、以前から向こうの方が圧倒的に口数が多いのだが、終盤戦に入ると、わたしもかなりになってくる。涙も大量に出てくる。オイオイ泣く。サメザメ泣く。ギャーギャー泣く。それに影響されてか、それとももとから女々しいからなのか、向こうも泣き出す。「泣ける」ということがむしろ誇りでもあるかの如く泣く。だがよく覚えておいてほしいのは、男の涙が人の心を動かすのはよほどの時だけ。それ以外は「甘ったれてるんじゃないよっ」と思うだけなのである。これは何も逆男女差別ではない。「男は泣いてはいけない」とかいう話しでもない。泣きたければ男だっていつでも泣いていいと思う。しかし、8割方シラーーっとするだけなので、そのつもりで泣いてほしい。
言うことは全部言い合ってトイレにも行きたくなったし、そろそろお開き、という時に最後にテレビを見ると、数字は36名くらいになっていた。このとき「レールの上の敷石が原因」みたいなことをテレビでは言っていた。「えーー? レールの上にちょっと石置いたくらいでこんなになるの?」と、はじめてまともに驚いた。「わからないよ、まだ」と、向こうも何事もなかったように言う。後日、それはJRが流した当てずっぽうだと分った。Webのニュースで見たのだが、敷石が原因ではないとキッパリとした調査結果が出たらしかった。事故にあたって真っ先にとった行動が、保身のための口からでまかせとは、なんてゾッとする話しだろう。