ツインピークス

TWIN PEAKS DVD BOXそんなで低迷ぎみの日々の中、まだわたしの中に活力が残っているなぁと自分で思ったのは、ケーブルテレビで10月から始まったツインピークスを忘れずに観た事。ツインピークスは去年だったかおととしだったかの10月にDVD BOXが出て、買おうかどうかさんざん迷って17800円は高い! と判断してやめていた。

わたしが深夜のテレビで観てはまっていたのは、たぶん1991年か2年頃(全米での最初の放映が1990年4月なので)で、とっくに母親だったというのに、あの頃はまだローラ・パーマー側の立場で観ていた。それが、上の子供が18才になった今となっては、がぜんローラ(17才)の母親の立場になっている自分に気づく。

日曜の深夜、ツインピークス序章を観て、あらためてローラの母親のタガの外れっぷりに、昔ははるか遠いものでもみるような感じだったものが、今は親近感に近いものを感じなくもない。少なくとも、どうして外れていってしまうのか分かる気がする。
あの母親は、ローラを追い詰めた要因でもあったろうに。

とはいっても観ていてやり切れないばかりではない。というかハッキリと快感だ。
普通のドラマはストーリーの都合の時間で進行していくが、ツインピークスは登場人物の感情や衝動の時間で進行していく。喜びや悲しみやいとしさがわきあがってくる時間。痛みや苦しみがこみ上げてくる時間、それらが耐え難くなるまでの時間。
すべてが早すぎず、遅すぎず、はしょりもせず、引き伸ばしもせず、そうあるしかない時間が流れている。だから、どんなに突飛な人物が現れても不自然さがない。

そうそう、時間といえば冒頭、水辺に打ち上げられたビニール袋に包まれた死体を、現場写真の撮影やら記録やらでなかなか仰向けにしない。あの時間のなんてじれったくも息苦しかったことか。わたしは陸にあがった魚のごとくぜーぜーしてしまった。
やっと仰向けにする段になって、顔を覆っていたビニールをどかす瞬間は、どんな顔が出てくるか既知も既知なのに、鳥肌がたった。
いや、きっと、既知だったからこそだ。

それにしても、保安官やヘイワード医師やピートは死体がローラであるということを、見る前から予感していたのだろうか。

ツインピークスの落ちっていうか犯人っていうかを知っているからこその楽しみ方が、たくさんありそうだ。

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