ニート / 絲山秋子

ニート

ニート

先日文藝春秋掲載の『沖で待つ』を読み、後半部でフリーフォールに乗せられ45メートルを垂直落下する気分を味わい、きゃあああと絶叫したあの味が忘れらずやはり『ニート』を買って読んだのだった。

このあとは『ニート』の話ではなくわたしの話になる。
どうして世間の人というか職場の人って、人に物をあげたがるのだろう? 喜ぶから? ノートとかペンとかお菓子とかお土産とか。誰も頼んでいないのに。理由もなくそんなにくれると疲れる。
もらったら返さなくてはならないし。

理由のひとつはタチの悪いいじめや無視や攻撃を回避する保険として。
他の理由は、物をあげる以外に付き合い方法がみつからないから。
他は、ほんとうに相手が好きで愛情をもてあましているから。
あるいは支配しようとして。

仕事というものが、純粋にその仕事だけなら、どれだけ楽しいだろう。
シモの世話とかわがままの相手とか死にいくひとへの敬虔なるかんごとかスキルをみがいたり勉強したりして仕事にいかしたり。それだけなら、どんなにつらい労働でもかまわない(限度はあるが)。

付随する人間関係と、わけの分からない見えない掟に煩わせられないならば。
まったく、ニートになりたい。というか根本的にはニートだ。

いろいろなことがいやでいやでたまらない。
こういう場所では、あまり汚い言葉は使いたくないので使わないことにするが。

『ニート』の顛末に嫌悪感を示さないことは、逆に失礼かもしれない。あるいは自分だけは安全圏にいたいという保身のあらわれかもしれない。それでいて、たしかにある爽快感があったのは確かなのだ。わたしが今書いている場所は「hatenaのにっき」であって一冊の書物ではない以上、あまりばばっちいいことは書けないのでこれ以上は書けないけど。

いろいろなことがいやでいやでたまらない。
けれどそれは、けっして自分に問題があるからではないと、わたしは信じる。

信じたい。

『ニート』との間に生じた共鳴が、その思いを強くさせてくれた。ほんの少し。

だからどうなんだ、ってことではないけれど。

 

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