視点・論点 「色覚と社会の認知」

視点・論点 「色覚と社会の認知」

NHKの<視点・論点>に、NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構
副理事長 伊賀公一氏の解説がアーカイブされました☆

もともと「色の見え方」という人の主観を、異常だ正常だと判定すること自体、もうぜったいに無理のある話でした。とはいっても、サイエンスの立場にしたら、遺伝子という現象を扱っているにすぎないことではあるわけで。わたしも一時期はサイエンスを目の敵にしていた時期もあったけど、色弱者の人には大のサイエンス好きが多いので、すごすごと引き下がってみたり笑

要は、誰が、どういうスタンスで語るのかで変わってくるのが色覚だし、あるいは身体・感覚器官なのか? とか、いろいろ考えました。

しかしそんなことよりも、日常を生きる生活者としての色弱者にしてみたら、不便なことや困ったことは、できるだけ抵抗なく言える/訴える ことのできる世の中がいい世の中のはずです。※

そのための助けとしても、こういう解説がひとつ、NHKの<視点・論点>に加わったことは心強いです。色弱者について理解の少ない状況に出会ったら、このURLを参照してもらってもよいですね。NHKは、なんだかんだ文句をいわれつつも、日本の公式見解と位置付けられているはずですし。

にしても、多様性とは、「多様であるな」とする圧力とたたかうことを意味しますね。廃止された色覚検査にしても復活を唱える声もあるそうです。「異常は異常と早く知るべし」「異常とわきまえて生きるべし」という意味の声なのかと邪推します。

もともと色覚検査は、多様性を前提として行ってきたわけではなく、異常のレッテル貼り、というのは言い過ぎとしても、検査後、当人の不便を緩和するための環境整備をするとか、あるいは本人に、色彩・色デザインについて教育をするわけでもなく、ほんとに無目的なものでした。

で、そのことに、皆が途方に暮れて、どうにもならなくて廃止になったわけで。
一部に「人権厨が廃止に追い込んだ」的なこと書いてあったけど、そんなものではないでしょう。

えーーと、話が長くなってきました。

まだまだ、パイロットのお題の答えは、わたしには出せてません。

なんだかんだいっても、面白い話なんです。色は、光は、そして人は。

とにもかくにも、カラーユニバーサルデザインCUDOさん、頑張ってください。

※(この解説では、「色弱者は、一般の人が配色による利便性を享受していることに気づいていない」という点を、まずひとつの問題点としてあげているため、不便かどうか以前にも問題が)