主人公は僕だった(原題Stranger Than Fiction)
●ジャンル:コメディ
●上映時間:112分
●配給:2006米/ソニー
●監督 : マーク・フォースター
●脚本 : ザック・ヘルム
●出演 : ウィル・フェレル エマ・トンプソン ダスティン・ホフマン マギー・ギレンホール クイーン・ラティファ
●製作:マーク・フォースター
●オフィシャルサイト
ほとんどストレスを感じることなく、ストーリーや会話や心理やエピソードが、すんなりスムーズに心と頭に入ってくる映画だった。しかも、純文学悲劇作家カレンの言う通り「そして多分…泣かせる」結末となっていて、まんまと計算通り泣かされた、という寸法なんだろうけど、嫌味ではなく素直に泣けて、「疲れた現代人御用達」みたいなキャッチフレーズの浮かんでくる映画なのだった。
それでいて、純文学悲劇作家を演じるエマ・トンプソンは、充分に悲劇的かつ重厚で、それがまたかっこよくて目を奪われる。女優に目を奪われるのはたいがい、美しさや悩ましさ等女性性に由来すると思うけれど、このエマ・トンプソンに目が奪われる理由は、女性性というよりは、悲劇性。あるいは精神性というのか。にしても、悲劇と決めてかかった文学というのはあんまり聞かないわけで、そういうのも含めて巡り巡って悲劇とも喜劇ともつかなくなるのが可笑し味で。
もうひとり、マギー・ギレンホールが演じる女性の、その服装、着こなし、仕草、表情、言動は、だらしなさとかっこよさのギリギリ境目のあたりに位置し、反社会性の表現となっていて、知性+キュートの組み合わせ。ファッションや仕草だけ真似してもとうてい出せる味ではないので、真似しても無駄かと思うけれど、ちょっとは参考になるかも。
といった役者の楽しみもありつつ、とても工夫を凝らした楽しいシナリオなのと、主人公ハロルド(ウィル・フェレル)や、大学教授(ダスティン・ホフマン)が真剣に「読む」姿を見ていて、自分も何か読みたくてたまらなくなり、映画館を出たら本屋に寄って小説を買おうと決めていた。