呪文の感想
年末の外出時に書店で購入。実に読みやすい本なのでさくさくと読めた。この読みやすさは、以前読んだ『希望ヶ丘の人々』by重松清の読み感にも似ていたから、商店街を舞台にした温かい人情物かと途中まで思った。
が、そんなはずはなかった。「桐野夏生氏大絶賛!『この本に書かれているのは現代日本の悪夢である』」と帯(写真)にあるのを、しかと目撃して購入したのだから。
それでもどうしても途中までは期待して読んでしまった。普通の人情物よりもずっと面白くなる予感をはらんだ筆致が、あちこちにのぞいていたからだ。
とくに気に入ったのはP.64あたりの夫婦の会話。
「まあ、自分でもあの瞬間はしまったって焦ったけどさ。でもこうして何をしたのかわかってみると、満を持して、効果的に怒りを使用したって感じだな。しっかり貯めて熟成して制御できた怒りのパワーってのが、どんだけ計り知れない変革を実現できるのか、未来を覘いちゃった気がする」
「相手のほうが幸ちゃんより激しくパニクってたから、落ち着けただけじゃないの?」
自分で自分に興奮し、自分で自分に高揚する図領の自画自賛と、常識的な反応を返すその妻の、世間によくありそうな仲のよい夫婦の会話だ。夫は、調子のいいことを言う。それを否定はせずに、夫の気分の良さを共有する妻。読んでて、「面白い男だな」と思ったし、この奥さんにも好感をもった。
さらにこの奥さん、実は大変な野心家で、どういう野心かというのは「秋菜 1」を読んでくれるとわかるのだが、わたしはものすごく面白いと思った。
そして図領が示す、未来のあるべき商店街——人が背伸びをせずに本当にくつろげる商店——のビジョンは、わたしもいつもそういう商店街や町並みを求めているため、とても共感した。この調子で、商店街の話と、奥さんの野心がどう実現するか、実現しなくてもいいから、そういう野心をもった女性がどういう話をしたり、行動するのかを読みたい。
と、思ってたら、始まってしまった。帯の通り悪夢が。もしかして桐野氏が読み間違えて悪夢って宣伝したけどほんとうは悪夢じゃない話なんじゃないかって、期待したんだけど甘かった。
で、いろんな若い男が出てきて、あまり言いすぎるとネタバレなので言えないけども、クズ道の話とかが始まる。なんとなく判るような気もするんだけども、今ならではの時代性がそんなにない。自分をクズって思ってた若者はいつの時代もいるだろうし。今、クズと思わないでいられない状況はどんなのかってのが、この作品から見えづらい。「こんな世の中腐ってるよな」と言われても、どう腐っていると栗木田は思っているのか? その腐敗にどう痛めつけられたのか?
その答えって、ひょっとしてネットで拾えってことかもしれない。それも新しいやり方だ。けど、やっぱ作中で示してほしい。(本書、終始ネットが大きな役割を担っていて、当たり前の前提として押さえてある)
でもって栗木田の、佐熊や霧生を前にした長い話が中学生のたわごとにしか聞こえない。ただし、それはわたしが年とって出来上がった人間だからピンと来ないのかもしれない。つまり、若者が読めば切実な説得力があるかもしれない。この語りに切実に洗脳されてしまうのが現代の若者なんだとしたら、それはなんて悲惨なんだ?
と、浮かない気持ちで、若者の感想はどうなっているかと、調査開始→
→呪文 | 星野 智幸 | 本 | Amazon.co.jp
ううーーん、どの感想が若者の感想なのか、わからん。
ただ、特に若者が書いたとは思えないメディアの書評欄、つまりプロが書いている感想では、悪夢を描き出したということで絶賛体制だった。
ということは、最初からわたしの読み方が間違っていた、ということだ。あの、イキイキした闊達な文章を悪夢とは反対のものとして読んでいたわたしの読み方は。
引用した箇所、図領の調子のいい自画自賛も、悪魔が目覚めた瞬間として読むべきだったらしい。なんかもー難しい。
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