この本は、夏休みの宿題、読書感想文用にわたしが選んだ本。

最初子供にどの本にするか選ばせたのだけど、まったく決まらないので、業を煮やして選んでしまった。

『空中都市008』は1968年(昭和43年)に、「アオゾラ市のものがたり」というタイトルで連載したお話だそうだ。それが最近、講談社が「青い鳥文庫シリーズ」(小学中級向けシリーズ)に収めたのは、「ノーベル賞の田中さんも少年時代愛読!」したとのことで、一躍脚光を浴びたかららしい。

描かれるのは、1960年代に空想されたさまざまな未来技術で、「動く道路」「世界中どこへでも3時間以内に行けるHST(ジャンボジェット機)」「総合道路」「海底都市」「月面都市」「宇宙ステーション」その他もろもろで、未来技術てんこ盛り。それも、ただの荒唐無稽な空想としてではなく、博学な作者はその時代の技術との兼ね合いで未来予測しているので、根拠のないデタラメってわけではない。

その小松氏も、なぜか「携帯電話」「インターネット」「ゲーム」という、今日の三種の神器はまったく思いつかなかったようだ。というのも、本書では、人や物の物理的移動に発想の大半が割かれ、三種の神器にある観念の移動のようなものは出てこないのである。

わたしが妙に感動したのは、引っ越しの時荷物を運び出さなくていい、丸ごと移動できる「動く家」。物理的移動がもたらす最大の苦痛がお引っ越しであることを考えると、こんなのがあったらホントに便利だと思う。

主人公ホシオくんが通うアオゾラ小学校では、新学期のたび生徒の自主性と創造性を育てる自由研究を行っている。ホシオくんたちが取り組んだのは、ロボット作りだ。

幸いというか都合よく、近所にロボット研究の第一人者でインド人のセカールさんが住んでいて、計算式なんか頼んでしまう(←他力本願)。セカールさんはロボット哲学というべきものをもっていて、セカールさんによれば、「(従来は)ロボットは結局は人間の召使だ、という考えでしたが、私の考えは、ロボットはどこか–美しいこころ、まっすぐなこころ、という点で人間よりすばらしいところがなくてはいけない」と、子供達を啓蒙する。

そしてセカールさんは、

「どんなロボットが、ほんとうにほしいか」

とホシオくんたちに聞くのである。

ホシオくんは何と答えたであろうか?

また、わたしなら何と答えるであろうか?

あるいは、うちの小学生なら?

最終章は、「月へいったうさぎ その1その2」で、やっぱそうきましたかって感じで月面都市について書かれる。

月面都市には、月で生まれ育った「月っこ」がいて、重力の関係でのっぽなのだ。

のっぽはともかく、

「暗くてひとりぽっちなんてへいきさ」なんて、さらりといってのける。

宇宙開発へ向けての、メンタルな問題は簡単にクリアしているらしいのだ。

(ちょっと簡単すぎる気がしたが)

1968年という書かれた年代のせいか、月の章は力が入っていた。

それでも、「どんなロボットが、ほんとうにほしいか」と聞かれたホシオくんが、

「すばらしい、誰も聞いたことのない話を、聞かせてくれるロボットがいいと思うんです」

この答えが、ひどく印象的だった。

#うちの小学生の読書感想文、原稿用紙2枚書くことになっていて、2枚目の2行目で終わっていた。「2枚目までいったんだからいいんだよ」というが、真っ白い空間が広かった。

(子供の感想ですか? 今の子は刺激に慣れっこだから、たいした感動は味わってないのです)


発行:講談社 青い鳥文庫シリーズ 初版:2003年6月15日

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