ドライブ・マイ・カー

ドライブ・マイ・カー、オフィシャルサイトの画像
ドライブ・マイ・カー、オフィシャルサイトの画像

今月28日月曜日9:00 – 12:00(日本時間)に発表になるアカデミー賞
作品賞に日本の『ドライブ・マイ・カー』が奇跡のノミネート、ということでトトカルチョが始まっている。
映画コムのソレを見たところ、複勝で買っている人はいても単勝買いしている人はいない。
が、プーチンの暴挙から世界情勢が変わった今となっては、思い切って『ドライブ・マイ・カー』一本に小遣い全部つぎ込んでも10倍のオッズで戻ってくるのじゃないか、と考えるのはギャンブルすぎるのか。
以下、感想も織り混ぜ、この作品の今的意義について語りたい。

それは二つある

  1. NetFlix的な無難さへのアンチ
  2. 文字コードの違いを超えていく

1について
NetFlixドラマはなんだかんだいって無難である。無難な中でも奮闘しているから面白い、とも言える。
帝国的といってもいい。
暗黙の帝国のルールがあってその中で奮闘しているのである。
『ドライブ・マイ・カー』の感触はそれよりもずっとヒリヒリしていてヤバい。扱う素材がベッドシーンとか語りの内容が性的&犯罪的とか、そういうヤバさという意味ばかりではない。ネトフリだってそれくらいやればできる。
そういうことを描いて作った壺を置く場所が机のヘリのように危ない場所なのだ。
いつもわたしたちが言ったり言えなかったり言おうかどうか迷ったりするヘリのような場所。
鑑賞に堪える立派なものであるから床の間に置く、という場所ではなく。

2について
日本人ばかりではなく、韓国人や台湾人など多数の海外の人があらわれて外語語で演技する。
見どころは唖者で韓国人で女性の人が手話で語るシーンだろう。
手話なので声もなく無音の時間が長く流れる。
この時間が端折られず長く撮られていた。
どの外国語にも、自分の生きてきた文化と違うものを感じさせるが、やはり手話が一番明確に感じ取った。
違う、ということ。
そしてやがて
そこに無音があることを受け入れ無音の時間を共有できるように。
言ってることの理解には及んでいないが、それはこっちの力が足らずに及んでいないだけ。

★ ☆ ☆ ★

どういう偶然なんだろう。
『ドライブ・マイ・カー』で重要な役割を果たす『ワーニャ伯父さん』はロシアの演劇。
しつこいようだが賞にこだわると、これがどう賞レースに影響するか?
『ドライブ・マイ・カー』を認めることは、ロシア文化の世界への影響の強さを間接的に認めることになる(面もある)、と思われる。
監督と『ワーニャ伯父さん』の関係については【ネタバレ解説】「ドライブ・マイ・カー」がより面白くなる11の裏話が詳しい。(観てから読もう)

文化は文化、何の悪影響もなく、正しく評価してほしいと思う。

追記

助演女優賞にも主演女優賞にもノミネートされていないが「みさき」がほんと良かった。
他は全員美女なので、それだけだと狭苦しい映画空間になっていただろう。
彼女が吹き抜け。

ただし最後の方みさきが語りすぎてて、「あ、こういうケースあるよな」と思った。
こっちがせっかく意を決して自分の傷の話ししているのに、こっち以上の傷をしゃべり出すヤツ。
「ヲイ!!傷でマウントとるんじゃねえ!!」みたいな人生の一コマ。「どーせあたしの傷は大したことないよ!!」みたいなイジケへと。

まそれは針小棒大だろう。

注意
メインは、
そんなふざけた話しではないのですよん。

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