超高齢社会でもこれなら大丈夫?!「地域包括ケアシステム」MEMO

迫り来る超高齢社会が心配でたまらない。悪いことに政権を担えそうな政党も自民党しかない。こんな踏んだり蹴ったりの状況下、地域という言葉を最近よく聞く。こんな風に。↓

厚労省作成の「図解地域包括ケアシステム」イメージ図
厚労省作成の「図解地域包括ケアシステム」イメージ図。クリックで拡大図。掲載元へは下のリンクで飛んでください

地域包括ケアシステム |厚生労働省

厚生労働省においては、2025年(平成37年)を目途に、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進しています。

団塊世代が全員75才以上になる2025年、およびそれ以後も続く超高齢社会を、現在のシステムでは支えきれないため、「可能な限り住み慣れた地域」で「最期まで」高齢者に過ごしてもらおうとのこと。

そのためのシステム作りのため、さまざまな識者を集め、研究会などを開いて、こういうのを提唱してきた模様。今、自治体のホームページには、必ず「地域包括ケアシステム」のページがある。よっぽど激しく「載せろ載せろ」と言われたのだろう。自治体によって温度差はあるが、ともかくみんな急ごしらえで載せている。

厚労省の人も一生懸命考えてくれた。国民みんなのために。これ、ベスト解ベター解だと思う。

それでもいくつか気になる点がある。

  • 1.地域の人が蚊帳の外に置かれている。地域の人が協力するのかどうか。
  • 2.このやり方で、介護従事者の給与は上がるのか?
  • 3.このやり方で、介護離職はなくなるのか? よけいに増えないか?
  • 4.それ以前に、現在の「介護保険料」は適正な使われ方をしているのか?

1について:
地域のことなのにトップダウンすぎて民意的なものが問われていない。
試しに自民党、衆議院、参議院のwebサイトを調べたけど、このキーワードは話し合いの文脈にはほとんど挙がっていない。
お任せモードでやってくれて楽だけど、それが良いことか?

2について:
わたしの職場に夜勤バイトに来ている高畠さんって人、ふだんは高齢者の訪問介護のバイトをやっているんだけど、正規職員でもボーナスはたったの5万円だという。普段の月給も相当に安いそう。こんな安月給じゃまともな介護なんかできないだろう。

実際もんだい、高齢者は日常生活能力がものすごく下がる。そこへペットを飼っていたりするから、しっちゃかめっちゃかに不潔なことになっているという。「それでどうするの? 掃除の手伝いしてあげるの?」と聞くと高畠さん、

「まっさか!!そういう家、あたし絶対中に入らないもん。玄関先で声をかけて返事があったらすぐに帰る。ばい菌や虫が付いたら絶対にやだもん」

なるほど…と、返す言葉もなかった。

3について:

厚労省作成の「地域包括ケアシステム」イメージ図に、当ブログが手を加えた画像
厚労省作成の「地域包括ケアシステム」イメージ図に、当ブログが手を加えたもの。クリックで拡大

図右上の施設がたくさんあって入りやすかったら、介護離職はなくなりそう。けど一番金がかかりそう。その金がないから「地域包括ケアシステム」って言ってるのでは? って気もするから頼りない。

4について
以前、みんなの介護のやまもと氏のページについて取り上げたけど、その中で介護保険料の使われ方の怪しさが出てきた。今厚労省の該当ページ 介護保険制度の概要 |厚生労働省 見ても、どう使われているのか、その内容についてはハッキリしない。

例の高畠さんが言うに、訪問介護の報酬も介護保険料から出ているのであるが、うまくやっている営業所はちゃっかりやれているが、バカ正直だとボーナス5万となるらしいのだ。(あくまで高畠情報) どうも、釈然としなくて困る。

余談だが、 介護報酬の引き下げで、本当に困るのは誰か | 岐路に立つ日本の財政 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 の画像を見たら気持ち悪くなった。

こういう画像見て、「介護されると若いきれいな女性に抱っこしてもらえる」なんて期待を持つ人は、もちろんいないだろうけど。

そもそもこのやり方では介護者の腰が破壊される。やるならグッと近づいて体同士が密着しなければならない。そういうこと、若い女性はやりたがらない。こういうの見て、よけい介護の担い手がなくなる。

そうじゃなくて、ベッドにちゃんと手すりを付けて、そこへ捕まって頂く。適正な位置に座れれば、あとはごろんと転がせば臥床位置になるはずだ。あとは男性介護者にやってもらうとか。

(↑気持ち悪くなりすぎて、本文を読めてない。うっすら笑ってなんかやらないし。身体の密着自体は必要ならもちろんやるわけだけど。これじゃあまるで違う意味じゃない。トランスの写真載せるならもっと真面目なちゃんとしたのにしてください。)

 

余談の多いMEMOになった。

しかし、どうせ地域を生かす社会になるのなら、受け身ではなく、先手でいきたいものだ。

そうでないと、どんどん無力感、虚無感にとらわれた老後になるだろう。

わたし自身、18才の時から老人介護をやっているが、介護する立場として、無力感、虚無感にとらわれた老人ほどやりづらいものはないのだ。

どんなに介護が必要な身になっても、内なる誇りを秘めた人が、介護しがいのある、嬉しい人だ。


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