介護とテクノロジー/最期の医療とテクノロジー
2019年の年明け早々落合陽一×古市憲寿「平成の次」を語るが大いに物議をかもした。たとえば江川紹子さんは 考察【落合陽一×古市憲寿対談】…命と人権が経済的に語られるようになった時代への違和感 | ビジネスジャーナル 、やまもといちろうさんは自身のブログ、荻上チキさんはツイッターで、などなど。どれも読みごたえがあった。しかもどの方も「生意気な若造を叩きのめしてやる‼」みたいな野蛮さは皆無で、ほんとうに命と人権を守り、より良い医療や福祉を実現したいと思えばこそで、わたしも大いに首肯しながら読んだ。
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それとは別にこの記事では、対談に出てきたロボットやAIなどの活用といったテクノロジーについての雑感を述べる
出てきたテクノロジー
- 排泄時間の把握
- 車椅子への移動、車椅子での移動
- 認知症の人の対応
- 医薬品や医療情報のオープンソース化
- 痰を自分で吸引
- 入浴などの力仕事
上から
排泄時間が分かる、というあたりに、どういうメリットがあるのか、わたしにはわかりづらかったが、場合によっては良いのかもしれない。
車椅子関連は「実装」できると良いことがあるような気がする。
認知症の人は全部が分からなくなっている人ではないため、話し相手が人間ではないことを察知するかもしれない。が、危ないことをしそうだったら教えてくれるとか、夜間徘徊に付き合ってくれるなどは便利であるし、倫理面もクリアしやすい印象だ。
吸引についてはイメージ図を作ってみた(下)
現実問題、今すぐ行うべきなのは、医療情報のオープンソース化ではないだろうか。
上のリストは主に「介護」の場面であり、「最後の一カ月」「無意味な延命」「最終医療」とは別の話なのだが、後者での情報開示は大事だと思う。そうでなければ、これから高齢者の森へ分け入っていく世代が今後の身の振り方を考える材料にならない。
(落合氏も謝っているようだが、介護と最終医療をごちゃごちゃにするとわけがわからなくなる)
その方法は、無意味な延命(かもしれない)人の様子を直接に動画にアップすると人権に関わる可能性があるので、バーチャルリアリティとか、何かだ。←当方には思いつかない……
たとえば上記江川紹子さんは、ご自身の父が亡くなった経験を踏まえて文を書いているが、江川さんのお父さんの身の上に起きたケースは、まったくもって「無意味な延命」でもなければ、ここで話題になっている「終末医療」でもない。
残念ながら亡くなってしまったとはいえ、通常の医療だ。
ネットの文で言うなら、 goo質問箱「無意味な延命」について や、 「延命治療」を親に強いるのは圧倒的に50代息子が多い理由 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン などが参考になるのではないだろうか?
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喀痰吸引の場面(わたしの知っている知識です)
条件はいろいろと分岐するが、まずは意識がある人で、自分で咳き込んで痰を出すことのできない人が機械を使う場合(正直、わたしには非常にあり得ないことに思われるが、疾患によってはあるのか?)
↓次は一番多いと思われる意識のない人。ここからまた分岐し、意識はなくても、痛み刺激には反応する人と、それすらもない場合。それすらもないけど本当は苦痛を感じているかもしれない人、など。
試しに 第1節 処置料 – 平成30年度診療報酬点数 | 今日の臨床サポート で吸引のレセプトを見てみた。喀痰吸引は一日に何回やっても48点だ。摘便が一回100点取れることを考えると、かなり「金にならない」医療行為ということになる。怠るとすぐさま生命の危機となる医療行為である割にはだ。あまりに頻回に行うから、いちいちと回数を数えてられないから、当然かも。
むしろ、回数を自動カウントするなり、命への重要度を換算するAIとかがあってもいいか?
どっちにしろ、吸引の手技は、下手なNsがやるとものすごく苦しいという。そんなのにやられるくらいなら、ロボットアームの方がいい可能性はある。