橋本治さんへ
橋本治さんが亡くなった。
東京都指定の難病にかかっていたくらいだから80も90も長生きするわけじゃないんだろうなぁ…なんてこわごわ思っていたけれど、その時がいざ来てしまうと脱力感というか、ああやっぱり人って死ぬものなんだなぁ……と思うしかなかった。
橋本治さんみたいな作家が死んだとき、橋本治さんならどんなコラムを書くのだろう。
似た感じのをみつけたので、読んだ。
やり遂げて、その年齢で死んだ。時代を担い、五十代六十代で死んで行った昭和の人達を思うと、その死がなんだか潔く思える。私はもう七十になった。七十過ぎてまで現役作家をやっている人は、昭和の頃にそうそういなかった。それ以前に、ある程度の地位を確保して、そのまま「えらい隠居」みたいな感じで生きていた。私なんか、もう才能が涸れて「どうしたらいいのか分からない」状態になっていても不思議はないのに、どういうわけか、頭は若い。「いつまで若いんだろう?」と思うと、少しいやになる。
ここら、自分の若さ自慢ってわけじゃないだろう。
昭和の人は、60才なら60才らしかった。80才なら80才らしかった。若者は若者ぽかったし、高齢者は高齢者ぽかった。
それが、いつまでたっても、昭和の人みたいにイメージ通りに加齢しなくて、若い、というあたりで止まっていると、戸惑っている。
他にこんな悲しいコラムもあった。
この文章は『消えたい: 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』という書籍の後書きを依頼された際に書いたもののようで、2014年の執筆と思われる。
2014年なら橋本さんは65才くらいだろう。
65才になって初めて「実は」を付けて「私は被虐待児でした」と打ち明け、その事と向き合っている。
橋本さんは子ども時代のことはさんざん書いていたくせに、そういうことは書いてなかったから、読んでてこっちも初めて知ったじゃないか。
橋本さんのお母さんはきっと、男の子とは活発に虫を捕まえたり、冒険したりするもの、という固定観念をもっていたのだと思う。
だから、それに反する我が子をけしかけてウスバカゲロウを捕らせようとしたのだろう。
そして、その通りいかない我が子を、下手したら嫌悪していたのかも、しれない。
「若い男が老いていく一方で、女は野獣化している」橋本治が紐解く日本人の性 – 社会 – ニュース|週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト]
こちらは何とも面白いコラムだ。
古事記やら日本書紀、平安時代の文学、江戸の風俗と、日本について膨大な知識を有している人だからこそ、こういうえっ!と驚くことが書ける。すごい。
わたしなどは、このエネルギーの前では全著作の一角を囓るのがせいいっぱいだったけれど。
そんで今思うのは、固定観念で子どもをいじめるような母親がいなくなるように、固定観念で人を苦しめる人が減るように、平成の日本人は頑張ってきたでしょう? ってことだ。こうであらねばならないという無意味な思い込み。人の体は五体満足であるべき。人の色覚は正常三色型であるべき。
橋本さんにはそういうところを認めてもらいたかった。
全著作の一角を囓ったのと、コラムを読んだだけで要求しちゃいけないけど。
最後に。橋本治さんに教わったこと。
- 自由。
- 自分の好きなものを好きでいいこと。
- 神は細部に宿る。
橋本治さんがいなかったらかなり絶望していたと思うので、ありがたかったです。
サンキューです。追記:死んでもまた読むと思います。さっきちゃんと話すための敬語の本を注文しました(^0^)/