マサコサマへ捧ぐ
5月1日、Abema TVをスマホで見てたら、まず新天皇が即位の儀式のために車でやってきて、それから随分たってから新皇后が車でやってきて、沿道の人たちに手を振っていた。その時Abemaのアナウンサーが「笑顔です笑顔です笑顔です」と何回もマサコサマの表情を伝えて連呼していた。ああ、やっぱりマサコサマが笑顔かどうかが気になっていたんだなぁ。マサコサマが万が一にも般若の面かオペラ座の怪人のマスクみたいだったらどうしようかとハラハラしていたんだなぁ
なんといっても彼女の場合、誰がどう見ても強引に無理くり結婚させられた経緯がある。他の花嫁(未来の皇后)候補たちは次々に他の人と結婚するなりして、うまく逃げおおせたのに、彼女だけはそういう適当な相手もいなかったのだろう。捕まってしまった。今から26年前、1993(平成3)年のことだ。あまり昔だから若い世代は知らないないだろうけど、遠くで見ているこっちがいたたまれなくなるほどの、婚姻騒動だったのだ。
皇太子との結婚を夢見る若き女性たちが日本国に大勢いたならば、それはどんなに幸福な事態だったかしれない。そうイギリス王室みたいに。
けど、そうじゃなかった。
このことは、記憶によくよく刻んでおきたいし、わたしも自分の子孫に語り継ぐつもりだ。今の象徴天皇制は一人の女性の犠牲の上に成り立っていること。言ってみれば全国民がイジメに加担しているようなもの。
もちろん。そんな考えはできれば捨てたい。今、皇后になった彼女が幸せならば、つまり今の自分の立場を受け入れ納得しているなら、取りあえず天皇制モンダイに緊急性はない。そう思えるから、マサコサマがスマイルだと皆が一様にホッとするのだ。
ここで一句。
笑顔かな? マサコサマで占う 吉凶よ
関連サイト
精神科医の立場からマサコサマの「適応障害」に意見(アドバイス?)してきた斎藤氏と、皇室に詳しいコラムニスト矢部氏の対談だ。皇后になったことで息をふきかえせるのかどうか。あと、宮中祭祀という明治時代にできたさほど歴史があるわけでもない、権威づけのためみたいな非公開儀式の負担を減らせる部分は減らすべきとの意見。まったく賛成である。ただし、意味があるように見える被災地訪問ってのも、どうなんだろう? 来られてもなーってわたしなら思うけど。そりゃとても質素にいらっしゃるのだろうけど、そんなカネがあったら仮説トイレの一個でも増やしてよと。思ってもなかなか口には出せないけど、そう思うわ。そこらを考えると荒唐無稽に見える「当事者研究」とその発表が、確かに彼女に実存的充実感をもたらし、かつ一番世のため人のためになりそう。彼女の能力ならそれはぜんぜん不可能ではないし。
マル激トーク・オン・ディマンドこそ象徴天皇制について議論しておかなければならないこと
ゲスト:原武史氏
こちらも面白いことをいろいろ言っていた。平成天皇夫妻が日本全国を「旅」して回ったわけだけど、必ず日帰りにしたこととか。日帰りにしないと宿泊先に国民が大勢やってきて提灯奉迎をしちゃうので、それを避けるため、という話とか。国民ってアホだからねぇ。えらいっぽい人ってだけでワーワー集まって人の気も知らないで盛り上げたり、喜ぶだろうとばかり「おもてなし」しちゃったり。勝手に神と持ち上げられて戦争責任を負わされたりとかひどい目にあってるから、提灯奉迎とか自衛隊の「堵列」とか一番イヤだろうに。
あと穢れとしての経血。ふざけんじゃねーって思うわ。ねえマサコサマ。
その他、興味深いことをいろいろ言っていた。