【証言】奪われた故郷—あの日[3.11]、飯舘村に何が起こったのか
『【証言】奪われた故郷』を読んだ。

……つらい。ほんきでつらい冊子。
とくに写真のp.34からp.35のあたりはもう涙出過ぎてくたびれた。
読んでるだけでそうなのだから、「こんなことなんで起きたんだ? 世の中にこんなことってあるのか」と思いながら、家族同然の牛を屠場に送り出した著者たちのつらさは、わたしの100倍、1000倍、1万倍…
それでも、このつらさを味わうことで得たものもあった。
自分が食べているものが生きものの命であると、真剣に思い至ったこと。
不肖annaka、自分史上もっとも意義のある気づきだと、いばる。
いばるようなこっちゃないけど、それくらいでもしないと、気持ちが落ちてくばっかだ。
Farm Sanctuary 希望の牧場~ふくしま~ Official BLOG: 風化しないように、発災年の動画を再UP
↑上は震災間もない頃の映像だ。
原発20キロ圏内は警戒区域となり、人々はすぐさま立ち去らなくてはならなくなった。家畜はじめ動物たちは置いて行かれ、家畜は餓死し、犬や猫はとつじょいなくなった飼い主を探し、食べ物を探し求め悲惨なありさまになってしまった。YouTubeにもいくつかあがっている。中には動物をたすけるために区域内に入って活動する人々もいて、救われる。
上記リンクは20キロ圏。
飯舘村はゆうに30キロ離れているので圏外のはずだが、放射性物質は同心円には降り注がず、長谷川氏の言う「たんこぶ」状に飛散しており、計画的避難区域に設定されてしまった。
人だけ避難し、牛は置いていけとなったのだ。つまり、20キロ圏内と同じ運命を牛たちはたどりかねなかった。
長谷川氏らはそうさせないために、役所、国相手にかけずりまわり、牛の犠牲を最小限にとどめた。
その結果が屠場に行くという事で、それが食用になる(無駄死にではなく)ことなのか、そうではないのか、実のところわたしにはよく分からない。それでも、20キロ圏のような地獄でのたうちまわらすような残酷な仕打ちを牛たちにしないですんだ。そのかわり、飯舘村から牛はいなくなり、酪農家なのに牛を失った。
Youtubeで比較的最近の長谷川氏を見たら、長谷川氏が今一番言いたいのは、あの時何が起きたのか(事故もそうだが、その後の対応。SPEEDiを隠したことや高い線量が出ても「安全」「安心」と大学教授らが説得に来て、その直後に計画的避難区域に設定されたこと。その間被爆し続けたこと、など)、それを検証してほしい、忘れないでほしい。
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この冊子からやや離れるが、リンク先「希望の牧場」の場合は、フクイチから14キロの位置であり、ほおっておけば動画、画像の通り、家畜たちは放置され餓死するところだった。あるいは「殺処分」になるところだった。その命を殺処分はさせず、意義あるかたちで守ろうと、奮闘しているのが希望の牧場だ。
これは牛の問題ではなく、牛の命を通した人間の問題と、牧場長は言う。
希望の牧場の牛は、生きるという事について、命について、食べるという事について人々が(特に子どもたちが)考えるうえで、最強の教材になる。
大人だってろくに考えたこともなく漫然と食べているのだから、ほとんどアホみたいなものなのだ。
食や命について考えれば、内側から綺麗になる※し、聡明な子どもに育つだろう。お受験だ偏差値だばかり言っていたら、昭和と同じような人間が再生産されるだけだ。
そっち方面(真の教育方向)でも、牛さんたち、生きれたらいいなー♪♪
※読んだダイエット本の影響で、唐突に言い出してて分かりづらいですね・・・・