PART3:大分県宇佐市にある、特攻隊の史跡(特に、平和資料館内の写真紹介)
零戦の実物大模型。映画『永遠の0』で使われたそう
同じ機を上から見たところ。
この資料館、『永遠の0』推しみたいです。帰りのタクシーの運転手さんも「永遠の0、好きなんですよ-」と言ってました。
零戦の操縦席。乗って模擬体験ができるようになっています。
この影響で『永遠の0』、わたしも読んだんですが、おおまかに言いますと、現代に生きる若者姉弟が、特攻隊員だった祖父について、いろいろな人から証言を集める話しです。お祖父さんの名前は宮部といって零戦乗りの名手だったのです。その関係で零戦について詳しく書いてあります。この著者、非情に評判の悪い人ですが、『永遠の0』は決して悪い小説ではないと思います。途中、けっこう泣けました。戦争賛美もしてないですし、天皇陛下万歳でもないです。零戦についても、当初こそ世界一のスピードと飛行距離等を誇っていたものの、戦争の途中からはアメリカのグラマンなどの戦闘機に圧倒的に差を付けられ、時代遅れになっていったことなど書いてあり、賛美一色ではないですし。それどころか、零戦の部品を作る機械はもともとアメリカ製だったらしく、こっこからして国力の差があったらしいです。
あえて難を言えば、『きけわだつみのこえ』と同様に、天皇の存在がやけに希薄に書かれていることです。あと、あくまでも娯楽作品なので、大岡昇平作品のような戦争のつらさが差し迫って苦しくなるというほどではないです。
しかし、GHQや東京裁判の外圧で仕方なく反省したふりをしただけの過去とは、一線を画すものはあると思います。
こちらは、特攻隊よりもなおひどい「桜花」です。エンジンがなく、爆弾と人間が乗れるだけです。途中まで飛行機で運んで行って、標的がみつかると落っことします。アメリカの博物館にも展示されていて、「BAKABOM」(バカ爆弾)と名付けられているそうです。『永遠の0』でも若干の章がさかれていました。非常に重いので運ぶ戦闘機にスピードが出ず、敵に打ち落とされることも多かった旨が書いてありました。
零戦はじめ戦闘機は乗りこなすのに時間がかかります。1000時間は訓練しないといけないそうです。が、戦争末期になると、それだけの時間を取れなくなり、100時間程度で実戦に駆り出されたようです。
戦争末期になって戦える兵隊が少なくなると徴兵され出した学生たち。学生達の訓練も、たいした時間を取れませんでした。空母の着艦訓練で事故死するなどが頻発。それくらいだったらそのまま敵陣につっこんで死んだ方がいい、くらいの命令が下るようになっていきました。
桜花もその一環の発想です。
作家、城山三郎の「桜花」について書いた文↑↑
学生を徴兵しなくてはならなくなった時点、もしくは、戦闘機乗り訓練ができなくなった時点で降伏してくれれば良かったのですが、軍令部にしてみたら兵士の命など「博打の金と同様」だった模様です。
アメリカの場合は、まず兵士の命が助かることが大前提であるため、戦闘機も頑丈に作ってあります。そのため多少被弾しても帰還が可能。乗ったぶんだけ実力が付くのが戦闘機乗りですから、戻った兵士はどんどん強くなって、ますます日本は負けがこんでいったようです。
命を守るわけではないなら、一体何のための戦争なのかがサッパリ分からないわけですが、「国を守るため、家族を守るため」という大義は、この本でもかなり肯定されています。
しかしながら、家族の側にしたら、誰が守ってくれと言ったかと。誰が、あなたの命を犠牲にしてまで守ってくれと言ったかと。そこは声を大にして言いたかったと思います。
まず命を守り育てることを大前提にして、制度設計、システム設計をする国へと成長してもらいたいもんだと、まだ見ぬ孫のためにも強く願います。