ハケンについて、ナカマについて☆part3
前回の7/29と8/1に、物と物でつながる人間関係について批判っぽく書いた。
けど、批判だけだととても不十分な上に、昨今の状況は複雑なので、仲間・交友・コミュニティ・人とのつながり・友人関係とからめて追加する。といってもうまく説明できないので箇条書き
- 1:物の持つ賄賂的要素に敏感になりすぎ、贈りたい気持ちにセーブがかかり人間関係を作ることが難しくなった
- 2:日本的な古いルールと、西洋的な贈答感覚が混ざり混乱。たとえば「出産祝い」をフランクに贈ったつもりで「半返し」が来るなど
- 3:携帯電話のメールの普及により、誰と誰がどの程度親しいのか一目瞭然でなくなった
- 4:携帯電話の普及により、まださほど親しくないうちに、携帯メールという密室的関係を始めることになりやすい
- 5:人と親しくなる場として酒席があるが、日本人には飲めない人が多い。飲める人と飲めない人が混在する席では前者は後者に借りを作りやすい(もしくは、後者は無理やり同席させられ不満をもつ)
- 6:個人情報保護法により、子どものクラスの連絡網に、クラスメイトの住所が載っていないため、親しくなりたいと思った相手にも年賀状などを出せなくなった
- 7:信頼できる公の人間が誰もいなくなり、教師は制度的に1年単位で交代。人間関係、信頼関係を築くのがさらに難しくなった
などなどなど。項目によってはまるで無縁な人もいるだろうし、個人的な愚痴でもありつつ、思いついただけ挙げた。
昔のように共同体ルールでベタベタしていたのも重苦しかったが、これはこれでみょうに孤独な状況と言えないだろうか?
説明すると、「半返し」には参った。親戚関係のような儀礼で贈った物への半返しならともかく、親しい友達のつもりの相手にやられると、お返しのことばかり考えるのやめてよねと思ってしまう。マナーやしきたりの本に書いてあっただけなんだろうけど。
携帯メールも実に面倒なので、ひところのような熱気はなくなった。特に絵文字を豊富に入れないと「怒っているのか」と思われるらしいので、絵文字の選択に時間かかりすぎ。絵文字を使ってフレンドリーな気持ちを表さないと×なのだ。ちなみに一瞬買おうかと思ったiPhoneは絵文字が使えないため頓挫。(ていうか、絵文字なんか入れたくなければ入れなくていいはずなんだけど)
酒に関することは我ながら痛すぎて話題にしたくない。飲む量の多い人間は、そうでない人に借りばかり作ることになるので、最初から人と飲みに行かない、という選択肢もあり。ここらへん、イギリス人が全員酒好きで何かといえばパブでくだを巻いてストレス発散しているのと、様相がかなり違う。借りを作った相手が、馴れ合い的に仲間っぽい相手ならいいが、ぜんぜんそうでないことの方が多いので、要注意だ。
こう考えると、以前は一部の芸術家肌や知識人や変人だけがなっていた個人主義者に、今はみんながなってしまったのかもしれない。わたし自身かなり個人主義者のつもりでいたのであるが、みながみななってしまうと、このままでいいのか不安になってくる。
西欧の本場の個人主義がどんなものかよく分らないが、日本型個人主義が普及、他者との関係が取りづらくなった。しかしだからといって完全に他人と交流なくして生きられるものでもない。孤独感や不安な気持ちになりやすくなる。交流の場やコミュニティが必要かなと思う。
以前ニートについてで「仲間感覚を基本とした社会を形成するための感情教育(それを国家が支援する)」について考えた。教育現場で具体的に何が出来るかという課題が残って途方に暮れたわけだが、多分、親が地域や学校活動のコミュニティに参加する(義務感ばかりではなくある程度楽しい気持ちをもって)のでないと、いくら子どもに教育しようとしてもムリっぽい気はする。でもってそれが一番、大変というか、今日PTAが行き詰まっている点で、ここらは私立の学校ならばそんなことはないのだろうから、公立学校ならではの、苦しい点かなぁ。
——————>>>>>続いたら続く