アジアの岸辺 / トマス・M・ディッシュ , media:単行本

アジアの岸辺 ネットで知った本。知ったのは同作者の『キャンプ・コンセントレーション』なんだけど、サンリオSF文庫だったためとうに絶版。まったく入手できないわけではないもののやたらと高額商品になっていて購入を躊躇。結果、こちらの現在進行形で販売中のアジア…にしてみた。
 これからの時代はロングテールというやつで「マス」より「ニッチ」が集積、少数派の嗜好も尊重されて昔の本も復活するのかと思っていたら、そんな甘いものでもなかったらしく、やはり今だって出版界はベストセラー中心主義のまま(というか以前よりも加速)のようだ。ただし、絶版の古本を捜し求めて神田神保町をさすらう必要はなくなり、PCの前にいるだけで捜せるのだから、少しはマシなのか?
 なぜこんなにもニッチのニーズは充たされないのか? あるいはなぜ出版界は読書家の満足を優先しないのか? あるいは、今本は読まれているのかどうか? 結局誰も読まなくなって、だから出版界は不況になって、良い本も悪い本も峻別しないままどんどん絶版にしているのか?


 といった疑問に、正面から取り組んでいるのが何を隠そう、本書に収められた短篇「本を読んだ男」だ。(正面からというか、側面からというか)
 ここには(本書はSFなのでSFとして)誰も本を読まなくなったため、出版という産業を存続させるためにだけ、本を書く人に補助金、読んで感想を述べる人に給料と、充分にあり得るだけに馬鹿馬鹿しい世界が描かれている。
 主人公ジェロームは、多数の職業訓練校に通い、複数の資格を有するにも関わらず一度も職を得たことのない、30代の無職男。それがひょんなことから、送られてきた本を読んでレビューするだけで金になるという、夢のようなおいしい話を知って「閲読者(Reader)養成学院」に申し込む。「閲読者(Reader)養成学院」の推薦もあって、その職を得、最初に送られてきた本が、『ビニール・ハンドバッグ収集ガイド』だった…!
 という展開なんだけど、『ビニール・ハンドバッグ収集ガイド』の書名だけで抱腹絶倒していた自分って箸が転がっても可笑しいお年頃なんだと思う。(これ以外の短篇が割りと重かったから反動か)
 『ビニール・ハンドバッグ収集ガイド』のレビューを書く場面はこうだ。

 ジェロームは、寮のロビーでテレビからなるべく離れた静かな場所を見つけ、さっそく腰をすえて読みはじめた。信じられないほど退屈な本だったが、写真がたくさんはいっているので、最初に心配したほど時間はかからなかった。それを読み終わると、ジェロームは公式閲読報告書の用紙に二百語以内の個人的意見を記入した—「『ビニール・ハンドバッグ収集ガイド』はそこらの連中が読みたがる本ではないが、ビニール・ハンドバッグ収集家にはきっと受けると思う」
 そのあとに、「自分の知り合いにはビニール・ハンドバッグの収集家がひとりもいないし、この本の写真に出ているようなビニール・ハンドバッグは見たことがない」とつけたしたかった。しかし、クルップ社での初仕事早々、こいつは批判的すぎると見られてもまずい。ジェロームの見たところ、クルップ社はこの本に大きな投資をしたばかりだ。こっちの正直な考え、つまり、ビニール・ハンドバッグなんてくそくらえ、という意見を聞かされたら、きっと面白くないだろう。
 一週間後、ミスター・クルップが署名した五十ドルの小切手と、ミスター・クルップのアシスタントであるベティ・クライナーからの、貴重なご意見に感謝します、という手紙が届いた。ジェロームは自分の幸運が信じられない思いだった。とうとう仕事がみつかった! あの広告に書いてあったとおり、おれは本を読むだけで金を稼いだんだ!

 批判的すぎると思われまいとする心理は、日本人だけではないことの分るクダリだ。ここだけで面白いからゼヒ読んで下さい。というかもう引用して読ませてしまった。
 そうして50ドル稼いで喜んだはいいけど、今度は、職業読書人としての人脈が築けるセミナーに誘われてしまい、その費用が1500ドルもかかって…と、実はちっとも儲かりそうにないシステムにのっかり続ける主人公。もっとも、そこで知り合った作家に「読んでくれたら10万円やる」と頼まれヘンチクリンな小説を読むことになって、そのお陰で今度は書く立場になっていき、書く快感に目覚めていく。このあたりのディティールがまた一段と冴えて楽しかった。
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 上の短篇は1994年の作品なので、出版界や世の中の流れを予見している。実際、読むこととその感想を述べることを、職業的にこなす人は現在かなりいるように見受ける。
 ディッシュは、今年の7月4日に自殺によって亡くなっている。それを知ったときは、てっきり「本を読む男」のような時代になり、誰も自分の本を読まなくなり、さらに自分よりもはるかに駄作しか書かない駄作家が、職業読書人に持ち上げられ高く評価される世の中に絶望して自ら死を選んだのか? と思った。
 うーーん、これはかなり説得力のある仮説ではないだろうか? ダメダメ評論家にけなされるだけなら、そいつに反論する手があるが、生活の糧にして本を読む人間相手では、もはや書物の価値や意味が組織的に変質してしまった、ということだ。その人たちは、ものすごいスピードでものすごく大量の本を読み、批判がましくない肯定的な意見で出版界と作者を持ち上げ、それで報酬を得る。そんなヒタムキな相手に、どう対抗すればいいというのか!?
 がよく見ると、ディッシュが亡くなった原因で一番大きいのは、(ゲイの)パートナーの死だったようだ。さらにアパートの追い立てもくらっていたらしい。となると、順当に考えて、パートナーの死という、喪失感を主とした強い精神的な負荷、さらにアパートが浸水したというから、思い出の品も喪失、そこへ加えて経済も困窮で、住み慣れたアパートを追われるという、何重もの負荷によって、おそらくは不眠続きとなり、健康な判断力が失われ死を選ぶにいたった…。
 長々書いたのは、「自殺という凡庸な手段」を選んだ、みたいに思われると気の毒だからで、ほとんどの自殺は、主体的な選択の結果として起きる(起こす)のではなく、眠れないことを主症状にした精神状態の悪化の延長上にあるのだ、と言いたいのである。
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 しかし、まだ68歳という若さなのを思うと、亡くなったことは本当に勿体無い。日本の出版社も、まだ存命中(だった)の作家で評価も高いのだから、絶版する前に考えたらどうなのか。
 って、サンリオSF文庫はそれ自体がすぐに潰れているんだけど。それに、サンリオSF文庫でなくては翻訳出版しなかった本も多いのであながち責められない。とはいえ。
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 『アジアの岸辺』で一番評価が高いのが「カサブランカ」「アジアの岸辺」のようで、わたしも同感だ。
 ディッシュって、たぶんアメリカ人に好かれていない(いなかった)作家。両短篇にある、アメリカという国への距離感、固く澄み切った眼差し、アメリカ人(もしくはWASP?)であることへの、とことんのプライドの「なさ」は、冷たさとか意地悪という表面的な性格ではなくて、もっともっと根本的なこの人の精神なのだ。
 ディッシュと同様に政治や戦争、核といった事柄を取り上げた作家に、イギリスの(SF)作家ジョージ・オーウェルがいる。オーウェルの場合、イギリスの植民地で官吏の仕事をしていたこともあるから、祖国に批判的だったけれど、それでもディッシュに比べたら相当な愛国者だろう。オーウェルのは、祖国への愛情ゆえだったのだ。
 オーウェルみたいな作家だと今日(コンニチ)まで、キチンとハヤカワ文庫で出版されているのだなぁ。
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 「カサブランカ」「アジアの岸辺」について書くのは難しいので、「話にならない男」について。
 「話にならない男」では、人と話す事がなぜか免許制となっているアメリカ。仮免許を取ってようやく色々な人と話せて、本免許取得目指して「推薦」をもらうためヤッキになる。推薦シール三枚で本免許だ。
 アメリカ人にもこんなコミュ下手の話ベタがいるんだなぁと思うと、意外と人間って共通項多いのかも?
 一生懸命免許取得にはげむ過程が妙にリアルで、読んでいるうち自分も一緒になってコミュニケーションスキルが高くなったかのような錯覚を味わえたから不思議だ。
 本免許取る過程で、何人かと会話を交わす中、特に面白かったのが、老女の詩人の家でのくだり。
 老女は推薦の見返りに、詩のお題を20個だしてくれと主人公に頼む。アメリカを描くこの作家の登場人物はみな何らかの取引をするのだけど、20個を交渉の末12個に減らしてお題を出すことになる。それがまた最高に楽しいのだ。
 一 彼女のいちばん好きなビールについて、広告のように書いた詩。
 二 クリスマスの買い物リストの形で書いた詩。
 三 経済の長期予測で重要なものいくつかまとめた詩。
 四 赤ちゃんに歌って聞かせるのにちょうどいい、ウサギについての詩。
 五 古今を問わず、彼女の一番嫌いな大統領の墓碑銘となる、ごく短い詩。
 六 彼女がいちばん最近にひどく失礼なことを言った相手に対して詫びる詩。
 七 坐骨神経痛で悩む人に宛てた「早く元気に」という絵ハガキの代わりの詩。
 八 砂糖大根に対する彼女の気持ちを分析する詩。
 九 彼女がいままで誰にも打ち明けたことのない秘密のまわりをめぐりながら、最後にはやはり秘密のままにしておこうと決意する詩。
 十 二月にアリゾナで起こる恐ろしい出来事の目撃証言を綴った詩。
 十一 恋人に捨てられた事件で極刑を正当化する詩。
 十二 彼女自身の顔を肯定的に細かく描写した詩。
(坐骨神経痛、アリゾナ、砂糖大根は本文に元ネタがある)
 詩の女神ミューズを降臨させるために考えてあげたお題は、効果絶大、やたらと老女詩人にインスピレーションを与えてしまって、夢中になってどんどん詩作、のちの詩集を出版するまでにいたる。それくらいノリノリにしてしまった主人公。
 ディッシュは自分も詩人ということもあっただろう、こんなノリノリになれる言葉の不思議な力の中で生きたに違いない。
 変なプライドなんかなくても、変な愛国心なんかなくても、ちゃんと生きていける。(少なくとも、パートナーに死なれてしまうか、アパートが浸水しない限りは)
 ディッシュは、まったく今日的な生きるヒントを提示してくれている。