神話からの脱却、それが無理なら書き換えへ

鳩山内閣早くも公約違反? 隠れた官僚支配の温床壊せず 井上 理(日経ビジネスオンライン記者)
★9/15(火)ジャーナリズムの新たな幕開けか!?~鳩山政権と記者クラブ
ゲスト:神保 哲生 (ビデオジャーナリスト)
司 会:上杉 隆 (ジャーナリスト)
→日曜に再放送あり。


なんか、ここへきてつくづく見えてきたのは、日本ではマスメディアこそがバリバリの保守だった、ということだ。
バリバリの保守が何を守ろうとしているのか、そこらへんを詮索すれば天皇制? とか思うわけだけど、日本国憲法では天皇の地位は確固として保証されているのだから、何を聞かれたって怖れる必要ないじゃないか。
ジャーナリストは、法律を作るわけでも法を破る者を裁くわけでもないし、犯罪が行われていても警察ではないから逮捕するわけではなく、情報を得て広めるのが仕事だ。しかし単に仕事なのではなく、そのことによって世界を出現させる。バリバリの保守である日本のマスメディアはその権力を手放したくない。いや、世界といっても彼らにとっての世界は、いたって狭い国内世界で、古事記あたりからつらなる日本列島内のことでしかないのだけど、神話は神話だ。彼らは神話に取り込まれその部分と化し、だらだらと無批評に神話の続きを書き綴る機械仕掛けのライターだ。
バリバリの保守に対して現れた革新勢力である、記者クラブの会員証をもたないジャーナリストたち。彼らがその取り巻きたちも含め、「ネットの世論」とか「ネットメディア」に賛意や支援を期待している。けれどネットの住人の大半は保守だ。保守は、神話の破壊を望まない。
「皇太子妃が日常的に行っているという儀式とはどのようなものですか?」「天皇陵を発掘できるのはいつですか?」「天皇家の人々にも人間的な権利があっていいのではないですか?」
そういう問い自体が不敬であるばかりではなく、その答えを想像するのもおそろしい、というわけだ。
記者会見をオープンにするのは簡単なことですよ<世界標準の記者会見基準とは>
だから、上記のような取材の形がいくら「世界標準」だと聞いても、日本は特別なんだ、という考えもある。
けれどそうだろうか。どの国にだってそれなりにタブーはある。アメリカのある場所では進化論はいまだに認められていない。
神話の破壊なのか、それともあらたな書き換えが起きるのか、そこらへんは今のところ見えてこない。
重要なのは、誰が担うのかという権力の問題。(権力は悪い意味で使っているとは限らない)
ネットユーザーはその匿名性ゆえに、名を残すべきものを選ぶ。
権力を誰に託すのか、その一点においてのみ、みずからも権力をふるう。
・・・
この前、ブッシュに靴を投げたジャーナリストが釈放された。
バイバイブッシュといって靴を投げた映像。
神話の生まれる瞬間をみた、と思った。
(と同時に、ひとりのイラン人であり、ひとりのジャーナリストなのだ。)
…何がいいたいか。
神話はいつでも生まれ得る。
というあたりかな…