≪感想文連載第6回≫


「チェリスト」
【参考資料】
出てくる楽器:チェロ 出て来る音楽:枯葉、ゴッドファーザーのテーマ、ラフマニノフ他 登場人物:ティボール、エロイーズ・マコーマック、ティボールを知る元バンド仲間、そのひとりで語り手 場所:アドリア海に面する町
不快な話。身をよじって逃げたくなる。
それゆえ、不快さの正体を見極めたくなり、再読した。
二度目に読んだら、その感じは少しやわらいだ。
最初に読んだ時の自分に突きつけられている感じが薄らいで、俯瞰して眺める余裕ができ、アメリカの隠喩的存在としてのエロイーズ・マコーマック、という考え方ができたからだ。そうすると、にわかに怒りの念がわいてきた。アメリカ人女性エロイーズ・マコーマックは、旧共産圏からやってきた、しかも正規の音楽教育を受けたティボールを弄しその人生や人格を破綻させた。そのために用いた道具はただひとつ、自分がそう思い込んでいる、というだけの言葉、言葉、言葉、言葉。
その姿はまるで、建国からたかだか230年程度しか経過していないにも関わらず、人の世の長大なる集積としての歴史と文化を持つヨーロッパ大陸の国を同等以下に貶める、ことに似ている。そう思いついた途端にわたしの中で嫌米感情が盛りあがり、自分の国日本もまた同様に長い歴史があること、それゆえアメリカお得意の理屈だけで事は進行しないこと、などをナショナルチックに思い、アメリカの奴をなんとか凹ますことはできないか、とか誇大に考えた。けれど最初に戻ってしまうが、ここでいう「アメリカ」は、わたし自身の方法や可能性と繋がっているものだ。たぶん、わたしだけではなく、あなたやそなたやかなたと繋がっている。
この話は「言葉」自体が主要テーマであるため、重苦しい閉塞感が漂う。けれど、どこか無責任な軽さがあるのは、出来事を語っているのが、完全第三者の元バンド仲間のひとりだから。本来コトは、エロイーズとティボールのふたりきりの密室の中で進行しているのだから、事実は第三者が知りようもない。それをあたかも見てきたように長々と語るスタイルが、実はゴシップ記事とか下手すりゃ報道とかもそうだよね、と連想させる。当然、語り手に語らせているのは誰かといえば「作者」であるから、こういう入れ子みたいの、どう呼ぶのか分からないけれど、そのおかげで「事の真相は、未来は、そしてその人のことは、誰にも(作者もふくめて)解らないもんだねー…」という気分を醸し出すのに成功している。
確かにそれはそう。けれど、エロイーズ・マコーマックとティボールの話をすでに読んでしまったわたしは、もう影響を受けてしまった。今さら、「誰にも(作者にも)解らないもんだねー…」という結論に、興味はわかない。さっき「わたし自身の方法と…繋がって…」と考えたけれど、あの吐き気のする女エロイーズのようになりたいわけでは、全然全くないに決まっている。エロイーズときたらさんざんチェロに打ち込ませておいて、いざとなると「ポーターでもやるの?」なんてあんまりなリアクションをかましていた。余談ながら「ポーター」は、著者が執筆上ひどく固着する職業で、この世界の中で特別な位置づけにある。大長編『充たされざるもの』でも、SFタッチと思えるくらい荒唐無稽なポーター群像が描かれ、重要な役割を果たしていた。以前感想をupしたものの、わたしには手に負えなかったためポーターについては触れていないのだが。
そんなでまた、ジェントルな作風を装いつつもとことん嫌なモンを見せてくれる作者だったのだった・・・。壁にもしもゴヤの絵がかかっていたら、飾って眺めるだけじゃすまず毎夜うなされるように、イシグロの作品も、一度読んだら読んだというだけではすまないものがありそう。
けど、それ自体についてこれ以上、何か示そうとガンバルのは、やめておこうと思う。
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付:
Rachmaninov Trio elegiaque – continuation
こういう曲の練習に、ふたりは熱心に取り組んだのかな、と思わせる曲。

投稿者 sukima