悲しみを聴く石 / アティーク・ラヒーミー
『悲しみを聴く石』は、苦しみ苦しみ苦しみながら、秘密を明かしていく話だった。
作者は、アフガニスタンからフランスへ亡命した、男性のアフガニスタン人の作家。(てっきり女性かと思ったが男性だった)
読んだ動機は、アフガニスタンに生きる(特に女性)とは、どういう気持でいるものか知りたかったから。もともとこの作家、フランスに亡命できるくらいであるし、学生時代からフランス語を学んでいるくらいなので、アフガニスタンで稀有なくらいの富裕層と思われるため、どこまでアテになるか解らないという、疑心暗鬼もあったわけであるけれど、ともかく読んでみた。
読んだら想像以上に、アフガニスタンに生きることは、イヤなことだった。
どうイヤかと一番解りやすい事例で言うと、夜中にいきなり人が入ってくる。
夜盗というのか、なんだろう。
当たり前のように入ってきて、それで警察を呼ぶ、などという発想自体がない。
夜になると、銃撃戦も始まる。
一晩中続き、殺しあいをする。
それは「銃が飽きる」まで続く。
しかしそれは本作の背景事情で、本題は、彼女の秘密の方にある。
と同時に、秘密を語る、という行為の方にある。
さらに解説によれば、そのような苛酷な状況にあって、どのように彼女(たち)が、強さを発揮し生きているのか、ということにある。
次にイヤなのは、「コーラン」だ。
病気の治療にも、コーランの一説を読み上げつつ手をさする、なんて行為をする。
そんな医療、馬鹿馬鹿しい。
などと言い切ってしまっては、価値観の押し付けになるわけで、だから、彼女がそうしながら何を思うのかを、読む。
他にイヤなのは、父親。
男。
といっても、最初からイヤな存在なのではなく、「女を知った」後に変質していくようだ。それに、父親だから全部イヤなのではなく、複数のタイプの男性、そして父親が出て来るので、イスラム圏イコール女性を男性が抑圧している、という図式にばかり沿っているわけではない。なので、そんな状況でも女が男を愛する方法、どう愛するのか、ということが描かれる。
正直苦痛である。
そういう愛しかたはわたしには理解できないし苦痛だし、イヤだ。
しかし、だからといってムスリムの男女の関係が、大きく荒唐無稽なわけでもないような気もしてくる。それに、どこか性的にははるかに大胆で自由な部分もある…
そんなだけど、少なくとも、一人の女性(男性もかな)が抱える秘密の層の分厚さに関しては、日本や欧米の比じゃないと思う。
秘密を明かし明かししてその果てに、小説は劇的なラストを迎える。
何が起きたのかにわかに理解できない終章なのだけど、ここをありのまま捉えることで、ラストへいたるまで読んできた小説の受け止めもまた、変わってくるのかもしれない…
創作のテクニックではなく、このような結末にピントを合わす小説なのかもしれない…