極北で / ジョージーナ・ハーディング著
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……手首の骨を折ったので、しばらく仕事を休んでいた。
ふつうなら、仕事を休めて家でのんびりなのだから嬉しいはずなのに、あまり嬉しくなかったのは何もできなかったから。もとより家事全般は特に好きってわけでもなけりゃ得意でもないとはいえ、それでも、台所がゴチャゴチャ散らかっていたら気分は悪いので、皿を洗ったり、流しをこすったりする。きれいになれば爽やかになるし、爽やかで清潔なのは気持がいいから、ついでに洗濯をしたり掃除をしたりもする。
ところがそういうことができない。なので家事全般には近寄らず、ぐたりと寝転がっていた。
実際、骨折は骨からも周辺組織からも出血があり、身体全体にダメージが大きいのだ。
寝転んで読みながら、時々うとうとし、また読む生活がしばらく続いた。
本の中では、西暦1616年、イングランド出身のトマス・ケイヴという船乗りの男が、みずからの選択として極北の地で一冬を過ごしていた。その極北は極北中の極北で、冬の間、命と言えるものはすべて死に絶える。なにせ、太陽が昇らないのだから。とてつもない寒さ、そして孤独、そして闇と閉塞。
そればかりではない。もっとも恐ろしいのは「壊血病」による死亡の確率がものすごく高いことだ。
この病はビタミンCの欠乏で起きるのだが、そうと分かったのは1900年代に入ってからで、当時は原因がわからないまま不気味な死に方をするので大変に畏れられていた。(wikipediaによれば「海賊以上に恐れられていた」とある)
それゆえ「生き残れるはずはないからやめておけ」と誰もが止めたわけであるが、壊血病には特定されていないだけで何か原因があるはずだと予測したトマスは、つまりは合理的かつ科学的な思考の原型を持っていたから、無闇におそれることなく極北でも越冬できると考えた。
しかしそうだとしても、寒さと、昼夜の区別のなさと孤独は果てもなく厳しい。
そんな中、トマス・ケイヴはどう日々を過ごしたのか。
幸いにも、色々なもので固めたテントには、ストーブ用の薪や燃料を捕鯨船の仲間がたくさん置いて行ってくれた(それでもストーブから数メートル離れたところはもう凍っている寒さ)。ストーブの前にはトナカイの皮を敷いたベッドがある。ヨーロッパ人はこんな状況でもベッドなのだなと、畳みの上の布団でわたしは思った。室内は3メートル四方とあり、メジャーで測ったら3メートル四方は自分のいる六畳間とだいたい同じだった。食料もプラムや堅パン、バターや塩漬け肉などなどがある。豊富に置いて行ってくれたとはいえ、過ごすのは8月から5月までなので充分とはいえない。そのぶん、自分でも熊や狐を狩りに出るという暮らしだ。
そういう過ごし方と、自分の過ごし方が重なったから、これはものすごく贅沢な読書になった。
もちろん、トマスの暮らしはあまりに厳しいので実際にはやりたくないけど、読んでるだけなら豊かな気分になれるのだ。もとより、大航海時代の船乗りの話が困ったくらい魅惑的なのは、かなりの程度同意できると思う。大航海時代は競って植民地獲得に乗り出した時代なのに。
過ごす、ということを考える。
過ごす、というのは、「生きる」のと重なってはいる。
しかし、生きる(生き延びる、生き抜く)には、もっと死と隣り合わせの厳しさがある。
一方、過ごすというのは、もっとゆったりと自分自身、自分の家族、自分の周りと、その幸福について考えたり、しみじみしたり、なにかノンビリとしたものだ。つまり、死がそれほど隣接していなくて、死から遠く守られている。
トマス・ケイヴの毎日を過ごす時間は、限りなく生きる、生き抜くに近いのだけど、暖かいお布団の中で読みふけるわたしにとっては、寒さが直接こたえないというだけで、原初的で風変わりで魅惑的な過ごし方に置換されていた。ただ一点、トマスが越冬を始める前の出来事、船乗り仲間のカーノックが仔アザラシにしたある残虐な遊びの場面をのぞいては。この場面は、最初と最後の方に二度描かれる。その遊びの意味づけを作者は(そして主要人物であるトマスもトニーも)行ってはいない。二度描くことで、読み手に二度感じさせるだけだ。
意外にも、トマスの越冬の日々は、本書の半分くらいで終わってしまう。そのあとは後日談となる。
あの日誌にもっと出番があるのかと思ったら、なかった。
なかったけど、トマスがデータとして参照できるよう心がけて書いたものだから、なんらかの影響を後世に与えているに違いない。と同時に、あの場所で越冬した者がいる、という話は伝説となって広まってしまった。トマス自身はそれを望んでいなかった。けれど魅力的な話しだから人の口から口へ広まってしまったのだ。それがひいては、動物と自然の北の楽園であるはずの場所を「自然破壊」していくきっかけになってしまった。もしくは、いきかねない暗示だ。
この本の全体的なテーマのようなものをわたしは示すことはできないけども、作者の想像力が、1600年代のヨーロッパの状況–おおいに捕鯨を含む–を描き出した、ということかと思う。とんでもなく魅力的な大航海時代を、楽園的とはいえない条件であらためて焼き付けた。そしてそんな壮大さの中でも、トマスの友人トニーにとって一番大きいのは、トマス・ケイヴを極寒の地に置いてきてしまった時の、つらい寂しい忘れがたい映像だ。
それでもそれはトマス・ケイヴの望んだことだ、と思う。
望んだら何でもいいというわけではないとしても。