当方、あんまり写真関係に造詣が深くないため、荒木経惟さんの名前だけは見かけたことあるものの読み方は「あらきよしのぶさん」?「あらきよしつねさん」?みたいな感じでひどく曖昧モコとしていた。先日とある写真家さんのブログで本書が絶賛紹介されているのを見て、自分も読んでみたくなり購入してみて初めて「あらきのぶよし」さんなのだと知った。


しかも、本書は生誕70周年記念とのことで、まだ死んでもいないのに「生誕」記念は早いだろーーというシャレもきかせているのだった。あえて「生誕」とシャレのめしたのには理由があって、氏は昨年前立腺がんを患い死と直面、大変な目に合った模様。ただでさえ、写真と死、死と性、死と切花、死と緊縛と、仕事柄死と隣接しているうえ、著者は愛妻に先立たれ、愛猫のチロちゃんにも先立たれといろいろある。であるからこそ、ご本人も死について考えてしまうのは当然で、となるとこっちだって、あらきのぶよしさんもいつか近いうちに死んじゃうんだなーとミもフタもないことを思ってションボリした。
本書『いい顔している人』は文字通り、いい顔とはどんな顔なのか、自説を全開している本だ。
いい顔の条件は男女で若干の違いがあるも、ひとつ言えるのは、若さではないし美醜でもないのである。
読んでいると、忘れかけていた大事なことを思い出して、全面的に賛同、共感してしまう。となると心配になるのが、オノレの顔は果たして「いい顔」だろうかどうだろうか、ということで、できればそうであってほしいと思うけれど到底自信がない。イタリアのパン職人の顔がいい顔であるような、今の仕事、今の人生を受容したがゆえのいい顔であるとは我ながら思えないのだ。どっちかというと諦めムード&投げ遣りムードに染まったイヤな顔になっている気が…あー
本書、ほとんど文章なので写真は少ないながら、数枚収められた写真はスバラシイのばかり。メインは「母子像」で、表紙の他に中にも一枚収められている。曰く「母という存在はいちばんいい顔をしている。」と、一種ありがちな事を言っているのだけど、自分の親の遺体にもカメラを向け撮影してしまう(本書所収)ほど、人を写す業に取り付かれているプロが言うと説得力がある。母子像のモデルは熊本で一般公募したそうで、ヌード条件でも50組も応募があったそうだ。氏の特徴が出ているのは、いくら母子像の撮影ではあっても「女を忘れるな」と言い含めての撮影だったそうで、完全に「母」になると「いい顔」からはズレてしまう、というのが面白い話ではなかろうか。これ、なんか分かる気がする。完全に母になると閉じてしまうというのかな。もともと母になったのは男がいたからなんだけど、この男(通常夫)が子が生まれたことを全面的に喜ばないこともアルんだよねぇ。子を挟んでの三角関係っていうか? 自分だけが愛されていたいのかどうか知らないけど、ここで大人になってくれないと困るつうの。
一見しあわせの典型に見える母子だけど、複雑になった関係が「いい顔」に近づけるのかもしれない。といってもわたしなんか女だから、母子像の母親の顔見てもさほどいい顔には思えなくて、「何ハッピーハッピーしているのだ」って気分になるし、どっちかというと、子どもを抱えている手の骨やスジの緊張に母を感じるのだけど、荒木氏は死と直面する経験の中で仏に近い気持ちが生まれたのか、母の笑顔にいたく感銘を受けているのだった。
あと、中の写真で「すごいなー」と思ったのは笠智衆の顔アップ。これは深い。
そんなこんなで、ざっくばらんな口調で、いい顔について色々語っている。
けど、底にあるのは、著者自身の生と死。
だからかどうか、最後に収められた写真は、著者の撮影したものではなくて著者の赤ん坊時代の写真で、大好きなお父さんが、撮ってくれたものだそうだ。
氏はお父さんと仲良しだった模様。こんだけ愛されてると逆にツライかも。
さっきから、勝手に「ションボリ」してみたりとか、今にもいっちゃいそうな事をここで書いてしまったけど、それは嘘。まだまだ現役で頑張ってくれそうだ。
それに、こんなにカメラや写真と一体になれるってすごい。
わたしももっといい顔になれるといいな……!!!!わーい(嬉しい顔)

投稿者 sukima