もうひとつの核なき世界 / 堤未果
著者の堤未果サン、ずっと前に『ニュースの深層』で誰かの隣りでサブキャスターをやっていたのは確かなのだけど、その誰かが誰だったか思い出せず、本当に最近は記憶力が鈍って、もっともそのお陰で厭な事もすぐに忘れるから助かるとはいえ不便ちゃ不便。その誰かが誰だったにせよ、職業柄当たり前とはいえペラペラとよく話す人だったから堤未果さんにあまり出番はなかった。堤未果さんは、そういう場所にいるには深く物事を考える聡明な人に見えた。だからといって、隣にいた誰か(男性だったのは確か)が聡明でないとかそういうことを言いたいわけではなく、第一ある程度は軽いノリの暴走脱線気味の出演者でなければテレビの間はもたないし、そうでなくても、人はただただ時間を埋めるためだけに、内容はともかくひたすらよく喋るものだ。元来無口なわたしですら、最近は側に人がいるとジュークボックスにコインが入ったかの如く、ろくに考えず口から音を発している。最初のうちこそ脅迫的に追い立てられてそうしていたのだけど、慣れれば割とそういう次元の住人になってしまうもので、それがあたり前のようになった側面もある。
この本は、わたしが持っていた著者のイメージが当たっていたことを証明した内容だった。のだけど、無論そんな事は本書にとってどうでもよい。本題の発端は、オバマ大統領が昨年9月に発した<「核なき世界」構想>で、そのわずか数週間後にオバマ大統領はこの一件でノーベル平和賞を受賞し、さらに一年後には「裏切り」の臨界前核実験をやってしまい… と、その都度当ブログも間抜けな感想をupしているので是非とも探さないでほしいけど、本書はわたしの感想を全面的に書き換えた。
この本は独り言にも近いような、こういうドキリとする語りで始まる。
「世界には、<絶対正義>に隠れてしまうあいまいさがある」
ここでいう絶対正義は、オバマの核廃絶に向けた演説の光輝くまぶしさで、本書はその影に隠れて見えなくなってしまった数々の現実に焦点を当てていく。その現実にはいくつかあって、最大のものは「劣化ウラン」の被爆被害だ。「劣化ウラン」とは原子力発電所の要はゴミで、これを使って武器が多量に製造、使用されている、というのだから、そこからして驚く。劣化ウランは多くの被爆被害者を出しているにも関わらずアメリカ政府は劣化ウランの有害性と被害を認めていない。
最初の章には、湾岸戦争で被爆した帰還兵たちの証言がたくさん並ぶ。悲惨だ。
同時に、こうも思う。彼らは、広島や長崎に落ちた原爆のことをろくに知らない。もしも知っていたら、核から漏れる放射能の怖さがいくらかでも想像できたろう。それに、自分たちが加害者になった原爆投下について知ろうともせず兵士に志願するなんて、いったい何を教わってきたのだ、と。そう、兵士のひとりが言う通り「因果応報」に近いようなことがアメリカで起きているのだ。正直「いい気味だ」という印象も持ったと白状しなければならないが、因果応報されているのは末端の兵士なわけで、やりきれない。
そのような無知を生み出した背景にある、アメリカの歴史教育にも、多くのページがさかれる。
有名な話であるが、アメリカでは原爆の投下は正当化されている。ただ、この件もいろいろと変化して、必ずしも全面的に固定したものではない。ただ現況としては、教育に市場原理が持ち込まれていて好ましい印象はないよう。
著者は感情をあらわにしない冷静な筆致で、さまざまに多様なアメリカ人の考えを取材していく。これ、読んでいて結構不愉快になって読むのがだんだん苦痛になってきてガス欠を起こした。なので途中気分を変えて「エピローグ」を先に読んだら、いくらか持ち直した。わたしと同様になった人はそうした方がいい。
—————>つづく