祈りと迷宮と
何度も書いてきた通りわたしはほとんどテレビを見ない。11日以降もそうだ。なので、ここを読む人との間にどこいらのセンで共通認識を築き得るのか考えると心許ない気分なのだけど、そのことが一から説明しようという気にさせる。
■3月12日(土)シフト:休み
晴れ。10時から小森歯科医院の予約あり。
前夜は余震で何度も目が覚め、歯医者に行く気がしない。
ただ歯医者の近くには大きなスーパーとドラッグストアがあるため、今後起きる大きな余震に備えて何か買った方がいいような気がして、やはり出かけることにした。
小森歯科の近所まで行くと、上空に変な形の細長い雲が縦に走っていて、そばに女子高校生ふたりが「ほらほらほら、あれ地震雲だよ、左右対称にあちら側にも同じ形の雲があるでしょ」と話していた。しばらくして三人目の女子高校生が加わると、もう一度地震雲を見るよう促しその説明が始まった。わたしも地震雲には気付いていたが、左右対称にあるという雲は女子高校生の方向にあったため、そちらを見上げるといかにも女子高校生の話しに聞き耳をたてていたみたいで格好悪いため、見たい気持ちをおさえつけ歯科に向かった。
小森先生とは一年くらいの付き合いになるが、地震の翌日だから休業ではないかと疑っていたところ、ちゃんと営業していた。待合室には「週刊朝日」が置いてあって、わたしはいつもじっくり読んでいる。が、その時は先週見たのより新しい号はなかったためiPhoneを見ることにした。いつもいる歯科衛生士の女性が「所沢から電車で来るの(地震が)怖くてイヤだ」と出勤拒否したとかで、衛生士の女性がひとりしかいかなった。その少し前にうちの娘は池袋まで出勤していたので、うちの娘はまじめだなぁ大丈夫かなぁと思った。
歯科の帰りカロリーメイト4つに、ケロッグオールブラン、ソイジョイ4本、大豆バー2本と、掃除用具とバファリン(40錠入り)二箱を買った。電池は買う気がしなくて買わなかった。この段階ではまだまだ物は豊富にあった。スーパーも同様。(こののち、陳列棚ががらがらになろうとは予測していなかった)
帰ってきてネットにつなぐと、iPhoneでも感じていたが、事態はまたまた怖ろしい方向へ向かっていた。福島第1原発付近の放射線量はふだんの70倍以上だという。前夜自分でも調べupしていた情報では、国は21時23分に原発から3キロの人は避難、3キロから10キロは屋内避難と指示を出していた。今日となって、その範囲で足りたのだろうか? 記者会見でそれらは聞かれているのかも知れないし、全部の情報をチェックしきれないので、わたしには詳細は不明だった。ただひたすら胸騒ぎが止まらなかった。
03月12日15:22 up 福島県避難所
03月12日15:27 up 171の使い方
■3月13日-14日(日-月)シフト:日勤、深夜勤
11日の大地震以来はじめての出勤。しかも日曜日。アケの吉本さんによると、やはり11日の避難誘導は大変だったらしく、なにせうちの病棟は四階だからエレベーターが止まると、歩けない人の誘導はオンブしかなく、それをやったのは副主任の鳥山さんとのこと。我が科は、興奮をおさめてグッスリと寝かせることが治療の第一歩であるから、何が起きようとカンジャ様は薬でグーグー寝ているわけで、本当に大変だったろうと思う。日中の地震だったのがせめてもの救いってものだ。が、余震は続いており、まだまだこの先も似たことが起きるかも知れないため、メモ書きのお達しが色々とあり、カンジャ様には「あまり遠くへ出かけないよう」と声をかけましょうとかあった。その日は、非常時用ということで懐中電灯が二個配給された(なので、普段からある二個と合わせて四個となった)。が、ヘルメットなどは配られなかったためブーイングだった。
日曜日は、そのオンブして誘導したカンジャ様の○○さんの血液データが届いており、甲状腺機能亢進を示していた。このことは、○○さんが当科的疾患ではない可能性を示していた。当直のドクターも日曜日なので「どうしようどうしよう」と悩んでいたが、皆で後押しして内科病院へ転院させる事が出来た。「一番大事を取った行動を取る」という原則通りにできて、この日の仕事はとてもうまくいった。
14日は「原発がどんなものか知ってほしい」を読んだ。
■3月15日(火)シフト:休み
朝起きて、ツイッターやフィードのチェック。(念のために書くとこの段階でも、どの段階でも、テレビはほとんど見ていない。NHKの情報などは間接的に入ってくるが)
チェックが進むにつれ、どんどん動悸が激しくなった。「3号機付近で400ミリシーベルトの放射線量」「四号炉で火災。水素も放射性物質も出ている」などなど、正直どれをどう見て恐慌を来したかなど覚えていないが、心臓は激しく打ち、喉がカラカラに乾いた。いったいどうすればいいのか? と、考えたところで、自分は総理大臣でもなけりゃ東電の社長というわけでもなく。もしもわたしが総理だったら、考えられるのは、より遠くへの避難ということだ。しかし、そのための「最悪の事態」がどういうものかわたしには具体的にイメージしにくかった。どこかに書いてあるのだろうか。何がこれから起こるのか? というか、起きる可能性がゼロとはいえないもっとも悪い事態とは何か? これは、知りたいような、知りたくないような話しだった。そんなものは聞きたくない、耳をふさぎたいという気持ちも強かった。
12日の午後に、「福島県避難所」という記事をわたしはアップしているのだが、このページへのアクセスがおそろしく多かった。13日には127、14日85、15日60、16日89IPだ。あくまで当社比の多さなので大した数字ではないとも思えたが、わたしには心臓に悪いほど多かった。そのほとんどがブラウザMSIE8なので自宅のPCから福島の身内や友人を探してのことだとイメージした。それだけならまだしも携帯からも多いので避難所を求めてさまよっている人に思えてならなかった。
夜になって娘が、ナイトと呼ばれる深夜までの勤務から帰ってきた。「何か怖い思いしていない?」と娘に聞くと、今池袋駅は遅い夜になると閑散とするらしく「あえて言うと人が少なくて怖い」とのことだった。娘の遅い夕飯につきあいながら、あれこれ見ていると「破局は避けられるか――福島原発事故の真相」に出会った。これは地の底まで血の気の引く内容だった。落ち着きかけていた動悸がまたひどくなった。
ツイッターでは、フリージャーナリストの人たちが、記者会見を海外メディアや自分達に開くよう繰り返し呼びかけていた。が、この門戸は異様に固く、そのことがさらに政府の情報を信じにくいものに見せていた。
この夜、多くの人が東京から逃げ出す、もしくは逃げる算段をしていた。わたしの明日のシフトは日勤で、娘はナイト。高校生の息子は、15日にいったん登校日になっていたものの、16日は休校が決まっていた。この学校の判断は正しいと思った。何が起きるにしても、家庭に子どもを返したのだ※。これからどうしたらいいのか、ともかく夫と相談しようと思った。
夫のテルテルは、それはすさまじい形相でテレビとパソコンとを相手に脂汗を流していた。先ほど、茨城に住む弟から「オレたち、逃げた方がいいと思う?」とメールが届いたからだ。テルテルは弟に返信すべく、必死で情報収集をしていた。まず放射線の特徴に始まり、メルトダウンとは? あるいはチェルノブイリと福島原発の違い、など。わたしの話しにも、「放射能とは物質がもつ放射線を出す能力のことで、放射線は照射した物質に電離をおこすことのできる高いエネルギーの流れのことだから、放射能の恐怖ではなくて放射線の恐怖が正しい」などと註釈してきた。わたしにはどっちでもよかったが、ブログに書くときは気をつけようとその時思った。
弟たちの住む家は福島第一原発から180キロ離れていた。だから安全圏内ということになっていたが、それはあくまでも政府を信用すれば、の話しであり、事実外国メディアはもっと悪いことを想定していた。いや、さっき読んだ「破局は避けられるか」がそうではないか。もはや100キロだから200キロだからと安心できる気分は吹き飛んでいた。
あれこれお互い引きつった顔で相談しあった。テルテルの弟たち一家が、180キロで心配だというならうちに避難しに来ていいし、それは喜んで受け入れる。そしてうちの距離でも心配な場合、うち一家も彼らの車に乗せてもらって遠くへ行こうというのが、わたしの相談したいことだった。なにせうちの車にはガソリンがない。それに弟たちの車はワンボックスの大きなやつだから、10人くらいは乗車できる。もちろん、そんなのは口で言うほど簡単なことではない。だから迷った。
なんとも追い込まれていったが、そういう話しの中で、テルテルが信じがたいことを言い出した。
「今必死になってこれ以上の被害を出さないように、現場で頑張っている人がいる。
彼らが必死になっているから、大丈夫だ」
と。さらに
「だからおれたちは、彼らのために何ができるのかを、考えなきゃいけないんだ」
と。
テルテルにはホント悪いが、わたしは呆れた。今は、うちの子どもたちの安全が第一であり、「彼ら」のことを考えている場合ではないと思う。少し譲って、うちは200キロ以上離れているから慌てる必要はない、と解釈するとしても、第一優先に彼らのことを考える気にはなれない。
こんなところに、戦記マニアにして自衛隊ファンのテルテルらしい思考回路が働いている。テルテルの目には原発内で作業する人々が太平洋戦争時の若き特攻隊員にでも見えているのだろう。彼らは国に命じられて、お国のためという事で死んでいった、日本の悲しき英雄である。
「彼らは命をかけている。命をかけてやれば、必ず守れる」
………(絶句)
いったいどこまで、あさって方向に目出度いのだろうか。
ここまで「ロマンチスト」だと思わなかった。
命をかけたからといって「守れる」保証がどこにあるというのだ。
それは単に、ひとつの信仰にすぎない。
実際まじまじと見ると、テルテルの顔はまさしく信仰者の顔になっていた。
日本の有史以来、時に原始宗教、時に神道、時に仏教と、人々は宗教に救いを求めてきたが、今も昔も人の心は何も変わっていない。いよいよとなったら信仰にすがるということなのか。
わたしは夫の考えに同意することはできなかった。
けれど、信仰は信仰だった。
それが自分の夫の信仰ならどうしようもないではないか。
時間は明け方の4時をまわっていた。テレビでは昔「やじうまワイド」で司会をやっていた人が、原発のことを喋っていた。「やじうまワイド」はうちの子ども達が小さい頃に見ていた番組だ。それに、わたしはその人のファンだった。
ともかく、さんざんと話したおかげで、ここに踏みとどまろう、ということで決心がついた。
わたしはテルテルに渡そうと思いついて、隠しているある物を取りに行った。
ラークマイルド、ワンカートン。
去年、三河屋で万札を崩すついでに買った誕生日プレゼントだ。いざとなるとやっぱやめようと思って渡さないでいた。(ここらへん、タバコをやめてほしいのがわたしの本音なので、行動が七変化する)
現在金のないテルテルはものすごく安いタバコを吸っている。そんなテルテルが不憫になった。だからラークをあげようと思ったのだ。わたしも2003年までマルボロライト愛好者だったから分るが、旨いタバコは、不味いタバコよりずっと旨い。今この時だからこそ、旨いタバコを吸わせてあげたい。
が、いざとなると、ワンカートン全部を上げるのはどうかと思った。なにせ、買ったときは値上げ前だったが、今は4100円もするシロモノだ。もっと値上がりしたらヤフオクに出そうと出品経験もないのに皮算用していた。ここでワンカートン全部なんてもったいないじゃないか、うんうんもったいない。じゃあ何個あげようかと、超高速タービンで高度な計算をしたあげく、二箱だけを彼の手元に置いた。
テルテルは普段のポーカーフェイスだったのでよく分らないが、突然目の前に現れた高級タバコに驚いたようだった。
一方わたしは、朝から出勤だから、数時間だけ横になって休んだ。
■3月16日(水)シフト:日勤
晴れ、強風。
この日の日射しの美しさと、すれ違う人の美しさを、わたしは覚えておきたいと思う。
昨日は夫の信仰と折衷した自分の心であったが、恐怖感はまるで消えていなかった。終末をもうすぐ迎える気にすらなっていた。原爆の読み物や映画に接するたび、人並みに胸を痛めてきたが、こういう風に核の恐怖を感じたことはなかった。まるでそれは時空を超えて広島や長崎の人々とつながり合ったようだった。行き交う人々は、普段と変わらず穏やかだった。誰も叫んでいなかったしパニックになっていなかった。というか、そもそも原発事故のことなど知らないかのようだった。
自分の病棟では、普段喋る同僚がいるので、そこでちょっと水を向けると、案の定原発を意識していないのか、まるでノってこなかった。けれどわたしより年配の大竹さんだけは、放射性物質が風にのって来るからコワイ、というわたしの話しを理解してくれて、壊れて閉じない換気扇を直すのを手伝ってくれた。大竹さんの事は、わたしはちょっと苦手意識があったのだけど、わたしの原発関係の心配を分かってくれる人とは思っていなかった。この時はほんとうに、大竹さんの存在が嬉しかった。
その後、参加している絵画教室の先生に通路で会った。先生もiPhoneユーザーなので、ほとんどわたしと同様の情報ツールを持っていて、わたしと似たような精神状態にいた。先生によれば、やはりみな原発のことを深刻に思っていなくて、若い子なんか「えーーそんなんなってるのー」と驚いているということだ。さもありなんで、うちの娘、息子を見ても、まるで危機感がないのだから、これは放射線(俗に放射能)の恐ろしさについて考えたことがない証拠だった。先生は、こうなってはじめて、いつも会っている人が愛しくてしょうがないと思えると話した。「あたし、この人のこと、こんなに好きだったんだって、はじめて気づいたの」と。実際今も、かつてなく先生とわたしは打ち解け合っていた。こんな経験ってそうそう出来るものではない。
不安になったらいつでもメールしてね、ということで別れた。
■3月17日(木)シフト:準夜勤
朝起きてPCを立ち上げた。すぐに「大江さん、日本は再び核の犠牲に 仏紙と会見」が目にとまった。「日本の歴史は新たな局面に入った。再び(核の)犠牲者とのまなざしを浴びるということだ」と複雑な言い回しが書いてあった。
もとより放射線の人体への影響は、「放射線の専門家」がしきりに言うように、よほど多いか少ないかをのぞいて不明、つまり未決定状態で宙づりにされている。CTスキャン一回受けたら浴びる放射線量は6.9mSv(ミリシーベルト)、それに比べたら大したことはない、などと。が、そんなにしょっちゅうCTスキャンと同じだけ浴びていたら、本当にCTスキャンが必要な時にマックスまで被爆していることにならないか。いや、少なくとも環境を激しく汚染したことに変わりはない。また、いくら人体に今すぐ害はないと言っても、今まで通りの自然体の無頓着でいられなくなった心理的被害は大きい。ごく控え目に言っても、あらたなストレス源を抱えたのだ。
だから大江氏は、原発の放射線が危険とかそういうことよりも、日本の原爆被害者への裏切りとしての側面を特に言いたいのではないだろうか。日本という国が、その運営上の何らかの指針をもつのならば、原発は使わないという思想が入ってしかるべきだった。もしも入っているのならば、仮に原発をやむなく(暫定的に)作ったとしても、こんな事故は起きなかった。正面からきちんと向き合っていれば。原発は、日本がもつのと日本以外の国がもつのでは、意味が違うのだ。
大江氏を嫌う人は多いが、嫌いでいいから、今度こそそこらへんを考えてほしいものだ。
しかし、それにしても、アメリカ人を始め「外国人」は、原発事故の放射線に恐れおののいてドンドン日本から退去しているという。アメリカ人など人の国に原爆を落としたくせして何をビクビクしているのだろう。まったくふざけている。いや、彼らの方が正しいのかもしれないが。正しかったとしても、しゃくにさわる話だ。
同僚のひとりなどこんなことを言っていた。「被爆したって平気だよ、影響でるの30年後だもん。そのとき65だから平気平気」
「外国人」ならそんなことは絶対に思わないだろう。日本人の彼女は、刷り込まれた教えででもあるかのように、放射線という敵と気力で戦う気でいる。
いや、あなたはそれでよくても、あなたの子どもさんはどうするんですか? あなたよりずっと蓄積されますよ、そうするといざ病気になった時に放射線を使う検査や治療に制限が出ませんか? そのほか、どんな影響があるか分らないんですよ? と聞きたかったけれど、それを言うことは出来なかった。
■3月18日(金)シフト:遅番
事態はまるで良くなっていない。
一日NHKラジオが職場で付いているのだが、ときどき、とてつもなく癒やし系のインストゥルメンタルが流れる。曲名は分らない。もしも分ったら、ホラー映画のBGMにオススメする。癒やし系のその曲が原発近くの人々を静かに送る曲に思え、こわくてボリュームを下げる。そういえば、昨夜もNHKラジオから「花の街」のインストゥルメンタルが流れていた。「七色(なないろ)の谷を越えて流れて行く 風のリボン輪になって 輪になって かけていったよ」が黄泉の国のファンタジーに思え、背筋に震えがはしった。
■3月19日(土)シフト:休み
事態が良くなっているのか悪くなっているのか、変わらないのか、よく分らなかった。
放射線はかなり漏れているようだった。けれど、「原発がどんなものか知ってほしい」をわたしは読んでいたから、原発は始めたが最後、終わりがないことを知っていた。福島第一原発はこれからもずっと冷却し続ける、ということになっても、まだ終わりはしない。放射性廃棄物があるし、廃炉にしてもそれで終わりではなく、いつまでも放射性物質を発しつづけるから、高いコストをかけて管理しなくてはならない。それは十年二十年ではなく何百年もかける、次世代を押しつぶす話しだ。悪夢はとっくに始まっていた、ということ。ただ、それを知らなかっただけなのだ。(知っていた人は知っていたが、オープンな議論、コミュニケーションが機能しなかった)
わたしはもう緊張の限界を超えていたので、花壇の写真を撮りアップした。
何事もないように、季節は春だった。
■3月20日(日)シフト:日勤
職場にて。
吉本さんも親の実家が福島だった記憶があり聞いてみると、親は実家を引き払って埼玉に来ているが、おじさんたちが相馬市に住んでいるという。相馬の状況はどうなのだろうか。吉本さんはいつも元気で明るい人だから、その恒常性を曇らせてはいけない気がしたので、「相馬市は原発の近くだね」とは言えなかった。その後、ラジオで相馬市かそれとも南相馬市の女性が出てきて、苦しい実情を答えていた。
避難範囲が30キロになってしまったがゆえに、物資が30キロまでしか届かなくて、食べ物が底をつき大変に困っているという。原発については、事故のあと「安全、安全」と言われた、ところがそのうち屋内待避になってしまった。外に出るなと言われ、身動きが取れないと、気丈に歯を食いしばって答えていた。
それにしても、節電のため蛍光灯が天井から間引きされたため、日中は自然光を最大限に生かしている。
すると、どうだろう? カンジャ様もなんとなく落ち着いている気がする。
今まで、夜9時消灯、朝6時半点灯のサイクルで何の疑問を持たずにやってきたけど、昼日中からの蛍光灯の明かりが神経をすり減らしていたのではないか。もちろん、薄暗くなって明りが付くと安心する。暗闇で食べるご飯は美味しくないし、第一物が見えなくなって危ない。だから、夜になって蛍光灯が付くのは(海外じゃ蛍光灯なんか使わずおしゃれな照明だそうだが、まあ置いておく)ありがたいのだけど。
エアコンにしてもそうだ。今まで夜間もエアコンを使用していたが、使わなくなって、以前よりみながすやすや寝るようになった気がする。家では就寝中はつけないだからあたり前なんだろうけど、患者サマに寒い寒いと言われると面倒になってつい付けてしまうのだ。
就寝中のエアコンは空気が乾燥して寝苦しくなるから、やはり、多少面倒でも掛け物調整がいい。
■3月21日(月)シフト:休み
彼岸の中日。北東へ向け献花。
茨城のほうれん草から規程値を超えた放射線が検出された、などのニュース。
その一方、人体に影響はない、ない、ない、との必死の啓蒙活動。
その話を信じないわけではない。本当に、影響はないのだと思う。
けど、わたしの知っている人は、胸部レントゲン検査を受けるさえいやがるくらいに、被爆を嫌っていた。わずか0.05ミリシーベルトと、人体に影響ナッシングな放射線なのに。「一種の潔癖症なんだ」と自己分析していた。
これからの東日本の住人は、ごく微量しか被爆しないレントゲンにすら、「癌」に向けて背中を押されるようでおびえることになるかもしれないし、おびえないかもしれない。
ディックのSF『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』のように、「今日の放射線」という予報番組ができる。放射線の蓄積が凄くて、食べられる野菜や魚は姿を消す。だけどコンピュータにつながったバーチャルな五感が、食感から味覚から再現してくれるから栄養だけの合成食物でも美味しく食べられる。でもって時々誤作動が起きて、魚なのにロッテチョコパイの味がしたり、ほうれん草なのに豚レバーの味がして「チッ」と舌打ちする。それでも、一番ほしいのはペット、本物のペット。たとえば柴犬。本物の柴犬は給料10ヶ月分ではきかないくらい高価。それでも必死で頑張ってやっと手に入れた、と思ったら、ある時背中に「蓋」を発見してしまう、「ちくしょう」。空も海も空気もみんな汚染されているけど、そっちもバーチャルで楽しむさ、白い浜をかけていくさ、バーチャルな恋人もオプションで付いてるさ、現実よりいいねっ
・・・・・・
なににしろ、放射線の安全性を教えてくれる専門家にしろ、その正反対に恐怖を教えてくれる識者にしろ、どちらからの教えも圧力であり、不愉快であることに変わりはない。どっちも単なる信仰にしか見えないからだ。
自分の夫の信仰なら仕方ないからつきあうけど、赤の他人のそれに、いったいいつまでつきあえるのか。
いったい、いつまで、彼らとつきあうことになるのか。
・・・・・・・・・
それでも風評被害を防がないといけない。
なので、放射線を「非科学的」な思い込みで怖がるのは、BAD☆
原爆の時も、放射能の恐怖を言いたて過ぎることが、被爆した人を苦しめた。
これが、原子力ってやつの卑劣なところだ。
だんだん面倒になって、人々は考えるのはやめていく。そういうところがある。
放射能は、生活者が考えるには、難しすぎる面がある。
(学力的に難しいとかを超えた難しさ)
■3月22日(月)シフト:準夜勤(これから)
これを書いて、ひとつの証言とする。
東北方向へ向けて飾った花の、水を取り替えた。
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※15日は、一番放射線量の高い日だった。
学校の判断は正しかったが、政府が正しい役立つ情報を出さなかったため、
15日に休ませるという判断を学校はできなかった。
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2012/02/07午後、意味なく冗長な箇所を書き換えた