6.11脱原発デモに行ってきた☆「6.11デモとマスコミ」編

(写真あとでアップ)
2011年6月11日、日本各地で脱原発デモが行われた、らしい。
らしいというのは、わたしは新宿のやつに行ったのだけど、他の地域でそんなにたくさんやるっていうのが信じられなくて、後でがっかりしたくないから、あまり注意を払わないでいた。
もしも、新宿も含め全国数カ所で同じ11日にデモをやるのだとしたら、高円寺の15000人と同じくらいの数字にはなるかな? とは期待していた。
そしたらこの「脱原発100万人アクション」、WEB IWAKAMIやOue planet TVらの中継ページの名残が残っていてそれを確認したら、なんと関東地区だけでも20箇所以上!! 分のモニターがズラリと並んでいて、壮観なのなんの。ちょっとちょっと、こっちを見ていたかったじゃんか?!
すごくない? これ。
マスコミが報道していなくてがっかりとかいう意見もあるけど、これだけの物証がそろってたら、マスコミ不要といっても過言ではない。
うん、思い起こせばマスコミはまとも報道していなかった。というか、部分的にはしていたらしいけど、うちが取っている東京新聞には、今日、一行も、載っていなかった。
(ただし、埼玉版のところには「さいたま、120人がデモ行進」と載っていた)
東京新聞は「こち特」だけが特区で、あとのスタンスは大新聞と大差ないのだ。(あと、埼玉版も割合と特区。ニコ生をさいたま市制が全国初で活用したこととか報道してた)
新宿だけでもあれだけ膨大な警官を動員したデモの模様を、「東京」と名の付く新聞が一面トップ、が無理ならせめて四コマ漫画の載っている場所(事件欄というのか社会欄?)には載せるのが、ナチュラルってものだろう!! と思ったが、載っていなかった。
その代わりに載っていたのは、「大川小の父母『助けられず、ごめんね』」の見出しで、児童の多くを津波で失った大川小学校の話題だった。
東京新聞、すご… と思った。
というのも、この大川小学校の話題は、数日前にも扱っているのだ。
その時は、もっと小さい記事で、いまだ遺体のみつかっていない6人の児童のうち、ひとりのお母さんのインタビューが写真とともに載っていた。お母さんは、みつからない女の子が、今年1月のお母さんの誕生日に「黒と紫のハンカチをプレゼントしてくれた」エピソードを語っていた。両手で顔をおおい泣く写真とともに。
正直、わたしも、この記事には引き込まれ、数回読み返したくらいである。
これほどの悲しみが存在する、という現実が、日常を一瞬忘れさせてしまうからだ。
それに、ハンカチのプレゼントが別れの象徴なのは有名な話しだ。その象徴通りのことが、起きていたと考えたらなおさらだ。新聞をたたんだあとは、あらためて大川小学校の検索をして、北上川を飲み込むながら押し寄せる津波の動画を見たり、あるいは生き残った小学生の男児のインタビュー動画を見たり、「何をもたもたしていたんだよ、先生達は」とひとしきり怒りをわかせたりした。
きっと、わたしと似た心境になる人も多かったと思う。(ネット検索はともかく)
今日(12日)の社会面は、いわばその続きともいう、内容だった。
だから、東京新聞なりに、ナチュラルな流れ、ではあったのだ。
いや、あの小記事は、この日に向けた仕込み、あるいは伏線とすら考えると、先ほどの「すご…」という感想も生まれようってものだ。
それに、実際、11日の14時46分にはみなで黙とうすることになっていたし、実際そうであったから、翌日の今日に記事にするのは、ナチュラルな流れではあるのだ。
そう考えれば、大川小学校の話題は、何も大がかりな「デモ隠し」の手段に使われたわけではないと、思う。というか、そんな、いやしいことをするとは思いたくもない。ただし、あえて言うなら、大川小学校の話題は、これからいつでも出来るのだし、今ここで話題にしたからといって、誰の助けになるわけでもないし、東京新聞に報道してもらいたいとは当地の人も別に思ってないだろうし、緊急性もまったくない話題なのだから、もっと、他の、緊急な話題をみつけて、そっちに割くべきじゃないのか?
とは、思う。
激しく、思う。
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この後は、時間をおいて「でも、デモなんだもん☆」の「いろんな人がいるなぁ」編をお送りします。